4月9日
東名高速「海老名SA」8時集合出発である。
天気は肌寒く今にでも雨が降りそうな中、集合時間1時間前に海老名SAに到着すると、殆どの方が到着しているではないか、皆さん遊びだとホントに早い。
海老名SAの駐車場、普段の土曜日であれば車で一杯の筈だが自粛のせいかガラガラだ。 |
この会の幹事である白馬の騎士さんは父親の訃報で急遽参加出来なくなり、車でお見送りに来てくれ、その白馬の騎士さんの挨拶の後、事務局長鈴木さんを先頭に東名高速を西に向け走り出した。
※西脇さん、渡邊さんお見送りありがとうございました。 |
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出発時には雨は降っていなかったが御殿場にさしかかると雨足が強くなり風も出てきて気温も下がってきた。
その中を、サイドカーを先頭に10数台の漆黒のBMWが駆けて行く。
それにしてもバイク乗りとは不可解な連中だ。
この寒い雨の中を、40数年前のバイクに跨り、300km離れた目的地に集うためにだけに走って行く。 |
休憩のたびに「寒い寒い」と言いながらもヘルメットを脱いだ顔は皆楽しそうに笑っている。本当に皆さんバイク馬鹿である。
「いや〜、凄い雨だったね」と言いつつもこの笑顔 |
休憩後、桑谷山荘目指して雨の中を出発! |
途中、同行者のフロントタイヤがパンクして、富士川SAで俄かパンク修理となった。千葉の鈴木さんが修理道具一式とチューブを持っていたため事なきを得たが、鈴木さんのいつもの用意周到さには頭が下がる。
チューブレス用のタイヤはビートが硬く中々外れない。それでも30分位で終了した。 |
それにしても、この40数年前の空冷エンジンは良く回る。
それに雨も降っているせいか水冷化?になって滅法調子が良い。
この旧タイプR60/2に乗るたびにバイクの進歩を考えてしまう。
今のバイクはコンピュターを駆使して設計され誰でも安全に乗れるようになったが、本来のバイクの面白さがスポイルされているように思う。 |
BMW R60/2 |
旧タイプはブレーキは効かないし当然セルは無し、こんな不便さが言葉では表しにくいが楽しいのである。不思議にどこまで走っても疲れない、それ故に27年前に購入以来、乗り続けている所以であろうか。
この雨の中を走っていると、昨年のGWに、この60で東北一周した時、八戸から仙台まで、雨と霧の中を走ったのを思い出した。
その太平洋側は今回の大津波で壊滅的な被害を受けた。あの素晴らしい風景はどうなっているのであろうか、早く復興されることを願うばかりだ。
「みちのく一人旅、1800km」ツーレポ→こちら
そんなことを考え走っていると、雨も上がり、浜名湖SAに到着するころには急速に良い天気になってきた。
浜名湖SA,駐車場にて |
浜名湖SAで昼食を食べ、音羽蒲郡ICで降りて1号線を名古屋方面に走り、途中、左折し田園風景の中を走り抜け、桜吹雪舞うワインディングロードを登ると頂に出て、旧タイプ(ミュンヘナー)のメッカ「桑外山荘(くわがいさんそう)」に午後3時頃到着した。
その駐車場は時間が早かったせいか、まばらであった。
久しぶりにお会いした皆さんとの第一声は「地震は大丈夫でしたか?」であった。
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雑談していると、続々と集まってきて駐車場が旧タイプで埋まってきた。しかし、参加者は90数名らしいが、ソロ、サイドカーとも例年より少なめだ。やはり、震災のせいで車での参加が多いのだろうか。
駐車場に停まっている旧タイプは遠目には同じように見えるが、近寄って見ると一台一台のオーナーの思い入れがありどこかが違う、そんな発見も旧タイプの面白いところである。
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神戸組も到着。 |
これは珍しい「BMW R68(1952-54)」だ。オーナーがバラバラで輸入し組み立てたらしい。
カーに乗っているのはピンクパンサー?の縫いぐるみ、何でピンクパンサーなのか聞き忘れた。 |
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宴会までに時間があったので緊急に役員会を開き、今回の震災にあたり、我がクラブから10万円を義捐金として寄付することを決定した。
宴会は定刻より始まり、途中、震災で被害にあわれたメンバーに励ましの色紙が回ってきた。
その宴会も無事終了し、部屋にて二次会となったがバイクから火葬場の話まで、いつものことだが私に取って良い?勉強?になりました。
4月10日
翌日は良い天気で、全員の記念撮影後、三々五々皆さん帰途へとついた。
雲ひとつ無い良い天気となった。正面の桜は五分咲き程度であった。 |
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皆さん、それぞれに桑谷山荘を後にする。 |
私と千葉の鈴木さんは、東名高速「富士IC]で降り、青柳さんら一行と「ドライブインもちや」でもちを食べて無事に帰ってきました。
ボクサーラリーに参加された皆さん、お世話になりました。
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