準備については、今後、韓国にツーリングに行かれる方のために、チケット購入や必要書類などを記します。
○フェリーチケット:韓国(釜山)までの船便は大阪よりのバンスターフェリーと下関からの関釜フェリーがあるが、バンスターフェリーは運賃が高く、また1,000円高速利用のメリットも考えて関釜フェリーに決定。チケットは旅行会社に手配させるが、ちなみに私はJTBに頼んだ。料金はバイク(排気量125cc以上に限る)二等客室で往復48,000円(運転者含む)だ。
お隣と言えども韓国は「外国」、バイクを持ち出すにはそれなりの手続きが必要です。
○
乗船当日に必要なもの
1、車検証(有効期限が1ヶ月以上残っているもの)
2、登録証書(海外一時輸出許可証、陸運局で発行・無料)問合せは→こちらへ
3、自動車運転免許証(国内、国際免許証の両方)
4、運転者のパスポート
5、認印(乗船当日に必要だがなくても拇印で大丈夫)
6、通関手数料 6,000円
○ その他個人的に持っていったもの→こちら
資料を取り寄せ、参加メンバーと繰り返しメールでやりとりして準備を進めた。出発日が1,000円高速を開始するゴールデンウィーク初日で渋滞が予想されたため、当初予定した海老名SA早朝6時出発を繰り上げて5時出発に変更した。
5月2日
いよいよ、出発の日がやってきた。
私は3時に起床し前日より準備してあった荷物を窮車R60に積み込み、ETCの緑ランプを確認し、いざ出発!
今回は初めての海外ツーリングいやがうえにも気持ちが高まる。
「R60よ!頑張ってくれ・・・」
海老名SAに到着すると、志村さんと村岡さんが来てくれていた。早朝にも関わらず、わざわざ、お見送りいただきありがとうございます。
海老名SAにて志村さん、村岡さんとで記念撮影 |
参加者4人(中島、土方、鈴木一、生馬)でミーティングを行い何よりも大切な安全第一での走行を再確認し、5時ジャストに見送りを受け海老名SAを颯爽と出発したが…
東名高速はすでに渋滞が始まっていた。
予想されたことであったが、やはりいたるところで渋滞が発生!車の間をすり抜けていくが距離が稼げない!そして、鈴木さんの69Sが低速でミスファイヤーを起こし調子がイマイチのようだ。
フェリー乗場の下関まで、約1,000km。途中、広島県内にビジネスホテルを予約してあるので、無理しない走りをするが、延々と続く渋滞にウンザリ!それに加えて、SAのガソリンスタンドも長蛇の列!!
歴史的大渋滞だ〜っ!
東名高速道路→伊勢湾岸道→阪神高速道路→山陽道路の西条ICで降り、本日の宿、広島県・東広島市「ホテル・イーグル」に夜8時ようやく到着。早々に風呂を浴び近所の居酒屋「ちろりんTOWN」で乾杯!!
5月3日
ホテルを8時に出発しようとするが、69Sのエンジンがかからず慌てて鈴木さんが修理するが治らない。1時間ほどで何とかエンジンがかかるが、バックファイアーは相変わらずで今後の走行に一抹の不安が横切る。
山陽道は事故渋滞などもあり、下関ICに着いたのは13時頃であったが、その下関の料金所が本線まで、またまた大渋滞!!車の間をすりぬけて料金所のところまでいくと、ETCの出口が 1ヶ所しかない!出た道路も渋滞…「この車はみんな韓国に行くの?」なんて思ったが、途中でなぜか全ての車がいなくなった!?どうやら同じ下関港で「しものせき海峡祭り」というのがあっての渋滞だったらしい。
下関駅からすぐ近くのフェリー乗場「下関港国際ターミナル」に14時頃到着すると、福岡BMWクラブの木下さんがR100RS+SCで見送りに待っていてくれた。この渋滞の中サイドカーでは大変だったろうに…ありがとうございます。
下関港国際ターミナルにて(左端、木下さん) |
まだ乗船まで時間があるので、鈴木さんは本格的な修理を始め、我々は食事に行こうとしたところ、係の方より乗船の手続きは15時半までにやって下さいとのことで、先に手続きを済ませることにする。受付のきっぷ売り場は2階にあり、必要な書類に記入し、通関手数料6,000円とターミナル使用料600円を支払い終了。バイクの通関手続きは17時30分からということで、鈴木さんは修理を続行し、我々3人は木下さんと近くのレストランで遅めの昼食。
昼食を終えて戻る途中、ターミナル方面より銃声みたいな音が響き渡ってきた。もしや!密入国者との銃撃戦か!?と身構えたが、それはなんと鈴木さんがエンジンの調子を見るためにターミナル周辺を走り回っていたバックファイアーの音だった。まだ調子はイマイチのようだ。
鈴木さんにバイクをフェリーに乗せるかどうか聞くと、「どうしてもこの69Sに韓国の土を踏ませたい!それで韓国を走れなくとも本望です。」との熱い答えに一同承諾。
通関の時間となり、係員の誘導に従い2階の検査場にバイクを持って行く。バイクの荷物の検査や通関を済ませ、今度は人間の通関だ。これは通常海外に行く時と同じで、他の乗客と同様にパスポートにスタンプを押してもらう。そしてゲートは通らずまたバイクの所に戻り、係員の誘導に従い階下のフェリー乗場まで走り1台ずつ関釜フェリー「はまゆう」の船内へ入っていく。
バイクの通関手続きの後、人間の出国手続きは右側のドアより入っていく |
バイクは1台を2人の係員によって手際よく固定される。船内を見回すと大型トラックやコンテナが何台か積まれていたが意外に空いている。聞くと、ゴールデンウィークで乗客は満員だというのに、車輌持ち込みは我々バイク4台だけとのこと。これには驚いた!
連休中なので仲間がいるかと思ったが残念だ。それにしても我ら4台だけとは・・・
事前に必要なものだけをディパックに積めていたのでそれを持ち込み、ヘルメットなどはバイクに残し階段を客室へと昇っていった。
乗船券を見ながら我々の部屋を探すと、二段式ベッドが並ぶ部屋の一角にあった。荷物を置き船内に出るとロビーには人がいっぱいで、聞こえてくるのはほとんど韓国語(満員の乗客460人でその内3分の2が韓国人らしい)。韓国もゴールデンウィークのせいで、子供たちも多く騒がしい。とにかく風呂を浴びて、窓側通路のテーブルに陣取りビールで乾杯。外を見ると夕暮れがせまってきた。
18時45分に出航のドラが鳴りゆっくりと岸壁を離れていった。まもなく薄暮の中に関門大橋が見えたが、それも徐々に夕闇に消えていった。我々はレストランに場所を移し、私はキムチチゲ定食(900円)を注文してまた乾杯。
薄暮の中の関門大橋 |
23時頃ベッドに潜り込むと、大部屋(カーペット敷き)の方からは団体客であろうアジュンマ(韓国のおばさん)たちの声が夜遅くまで聞こえてきた。楽しそうではあるが、大部屋でなくて良かったと思いつついつのまにか夢の中…zzz
さあ、明日は釜山(プサン)上陸だ!!
夜中2時半ころ、船体を揺るがす音に目が覚める。どうも、釜山港に到着しイカリを下ろしているようだ。しかし確か下船は朝8時の予定。外に出て見ようと思ったが、睡魔に勝てずまた夢の中へと戻ってしまった。
5月4日
6時頃目が覚める。早々と支度して甲板に出ると朝もやの中に蜃気楼のごとく釜山の街並や高層マンションが現れ、その美しさに思わず「オーッ!」と声を上げてしまった。
「とうとう来たぞ!!」
タグボートが寄ってきていよいよ接岸の準備が始まった。
釜山は下関から直線で220km、福岡市からだと高速船を使えば3時間程で着く距離だ。
だから夜中には釜山港に着いているのだが、税関が開くまで湾内で待機して下船は予定通り8時から始まるということらしい。我々も下船準備を終えて部屋で待っていると、船内放送が流れて係員が呼びにきてくれた。ロビーに出てみるとすでに人が溢れていた。我々は案内に従ってバイク置場まで降りて行き、エンジンをかけ出口へ。桟橋に出ると、
そこはもう韓国だ!
誘導されてバイクを停め、まずは人間の入国審査。他の乗客と共にここでパスポートにスタンプを押してもらうわけだが、先頭の鈴木さんがもめている。どうやら韓国内での滞在先の記入がないため、質問責めにされている模様。
今回は不慣れな外国で移動時間が読めないのでホテルを決めていなかったのだ。日程表を見せて何とかクリアー。残りの3人はスムーズだった。
ところがゲートは無事に通過したのに、コンベアー式のX線検査で私の荷物が出て来ない。すると、職員に呼ばれ別の場所に移動させられた。そこには私のジャケットとタンクバッグが置かれていて、私のジャケットを「これは、何だ」と言う感じで指された。勿論、韓国語で理解できなかったが、ピンときた!私のエアーバッグ付きジャケットのカートリッジボンベが、不審に思われたらしい。説明しようにも言葉が分からない。そこにさっき誘導してくれた方が来て「オートバイのウェアだ」みたいなことを韓国語で説明してくれて事なきを得たが、飛行機であれば没収ものだったかもしれない。 |
ガスカートリッジ
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それからタンクバッグの磁石もX線でひっかかったが、これも現物を取り外して見せて何とか全てをパス(汗)。
バイクの通関の際にも同じような検査があるので、入管に必要なもの(パスポート関係)以外はバイクの所に置いていくべきだったと反省した。
それからは、今度はバイクの通関手続きで検査場に移動させられ、そこには数人の税関職員が待っていた。そこで書類を提出するわけだが、当然韓国語が全然分からないのでファイルごと差し出し必要な書類を取ってもらった。
BMWのバイクが珍しいのか、それに旧車もあるせいなのか、関係の無い職員らしき人も集まってきて質問されるが意味が通じない。何とかつたない英語でごまかすが理解してくれたかな。
もの珍しそうに見る職員の方。
鈴木さんのパニアはロープでのハンドメイドキャリヤ、ケースはホームセンターで購入、何と1個1,980円! |
税関の職員はとても感じがよかったが、一人くらい日本語が話せる方がいてもいいのではないかと思った。
荷物検査も受け自賠責保険料(72,500W=5,800円)と関税免除の保証団体手数料(160,000W=12,800円)をウォンで払い(ウォンは前もって一人2万円分を両替してあった)手続きは終わりのはずだったが、さっき提出した生馬さんの書類が不足していると担当者が言い出した。どう考えても担当者が紛失したのに…「さっき渡したじゃん!(怒)」。結局、新たに作り直し。
すべてが終わったのが、10時頃になってしまった。
鉄のゲートを開けてもらい鈴木さんを先頭に飛び出すと、そこはフェリーターミナルの駐車場で、そこには日本より予約していた観光ガイドのキムさんと、釜山のBMW代理店「Jinsung Motors」の顧客・リュウさんがハーレーで待っていてくれた。
ゲートを抜けて、いよいよ釜山市街へ!! |
キムさん |
リュウさん |
二人は面識が無いので私が説明してお互いの自己紹介を行う。
釜山(プサン)に着いたら、まず「Jinsung Motors」に挨拶をすることに決めていたのでリュウさんに案内を頼んだ。キムさんの車には私が日本から持っていった「ミニ鯉のぼり」をアンテナに取り付け、いざ、釜山市内へ!と皆がエンジンをかけ出発しようとするが、鈴木さんの69Sのエンジンがかからない!!リュウさんが携帯でバイク屋さんにバイクの症状を伝え、プラグ交換などをしてやっとエンジンがかかる。
キムさんの車を先頭にリュウさん、鈴木さん、土方さん、私、生馬さんの順で市内に走り出すと、韓国名物?の荒っぽい運転の洗礼を受ける。とにかく、間隔を開けるとタクシーやらバスやらが右、左からと突っ込んでくる。先頭を走るキムさんの車はハザードを出してリードしてくれるのだが、結構ハイペースだ。それにハザードつけているから、ウィンカーが見えないので、どちらへ曲がるか分からない。「鯉のぼり」が無かったら見失うところだった。
リュウさんもハーレーで我らをガードしてくれるが、鈴木さんの69Sは相変わらずバックファイアーの連続で調子が悪い、その内、ハンドルぶれまで起きてきて、信号待ちで「大丈夫?」と聞くと「もうダメ…私を置いて皆さん、先に行ってください」とヘルメットの中の目は涙目!「バイク屋まで、頑張ってください」と励まし、何とか30分ほど走りバイク屋に着いた。
鈴木さんを気遣うリュウさん |
Jinsung Motorsにて |
店長らに挨拶して、鈴木さんはバイクを見てもらい、我々は近所の定食屋で昼食をとる。私は「焼き太刀魚」(6,000W=480円)を食べたが韓国では太刀魚はポピュラーな食べ物らしく美味しかった。
ここでリュウさんから、ツーリングスポットを教えてもらった。(リュウさんは、日本へハーレー持ち込みで走りにきたこともあるツーリングの達人だ)
バイク屋の整備士も旧車は始めてらしく、最初は戸惑っていたが構造が分かればそこは修理屋。ポイント調整などをしてもらうとかかりも良くなり、本調子ではないがバックファイアーは大分無くなった。
私は店長とキムさんに、このツーリングのために作ったTシャツをプレゼントしてお礼を述べてバイク屋を後にした。ここで、リュウさんとはお別れとなった。
Jinsung Motorsの皆さん、カムサハムニダ!
店長とキムさんに、プロジェクトKTシャツをプレゼント!!我ら4人の名前入りなのだ。 |
いよいよ「韓国ツーリング」の始まり!
4日後に戻って来るまで、釜山ともしばしのお別れだ。
それからは海岸沿いの31号線を北へ走り、ひなびた漁村などを通り、本日の目的地、慶州(キョンジュ)へと向かう。慶州に近づきにつれ、韓国の道にも大分慣れてきた。今回は安全を考えてガイドを雇ったので、そのガイドの車が先頭に走っているせいか右側通行に戸惑いを感じない。それどころか、バイクは右手がアクセルのせいか右側通行の方が走りやすい感じさえした。
途中、世界遺産である、石窟庵(ソックラム)と仏国寺(プルグクサ)に寄る。そうこうしているうちに夕方となり、今夜の宿は慶州市内ではなく仏国寺(プルグクサ)近くのオンドルの宿(二人で60,000W=4,800円)に泊まることにした。町はずれなのに周りにも同じような民宿がたくさん並んでいた。さすがに韓国でも有数の観光地だけのことはあるなあと感心する。
シャワーを浴び、キムさんの車で夕食も兼ね慶州観光に行くことにした。慶州までは30分ほどで着いたが、8時を過ぎていた。そこでは23もの古墳が点在する古墳公園「大陵苑」(デヌンウォン)を見学する。ライトアップはされているが回りは真っ暗だ。塀の外側に古い街並みが見え、そこも見学したかったが時間が無いために断念した。その公園の近くで食事をして宿に戻り就寝した。
新羅(しらぎ)1000年の都、慶州(キョンジュ)は「屋根のない博物館」と呼ばれ「慶州歴史地域」(キョンジュヨクサユジュッツグ)として世界遺産に登録されている。ぜひまたゆっくり訪ねてみたい街であった。
5月5日
本日のルートはリュウさんより教えてもらった、韓国人ライダーなら必ず走ると言われる「韓国のアルプス」を抜けて光州(クァンジュ)まで行くことにする。韓国ではバイクは高速道路を走ることは出来ないので一般道での走りとなるが、ガイドのキムさんも一般道で光州まで走ったことがないらしい。
朝食(5,000W=\400)早々にすませて出発。35号線で南下し、途中を右折して24号線に入る。現在、バイパス工事中だが、途中までは立派な道路だ。韓国の国道はほとんどが制限速度80kmで、なおかつ交通量がとても少ないので快適に走れる。
国道のナンバーだが、偶数ナンバーは半島を東西に走り、奇数ナンバーは半島を南北に走るようになっていて、3桁国道はない。
国道24号線 |
「ほとんど車が走ってないのに、なんでこんな立派な道路が必要なの?」
バイパスが終わり旧道に入ると、次第に高度が上がり気持ち良いワインディングが続く。ハイスピードになってきて、周りの景色も「アルプス風」になってきた。
途中で韓国の走り屋が数名駐車していたので、私は写真を撮りたかったのだが、みんなが止まりそうもなく、仕方なく走りながらカメラを構えたが時速100km近い走りでの片手運転は命がけ!!鈴木さんの69Sは低速では相変わらずのようだが、高速では滅法調子が良い。
もっと走り屋がいるのかと思ったが、彼らだけで終わりだった。ちょっと拍子抜けしていると、快適なワィンディングものどかな田園風景と変わってきた。山岳ルート以外の地方道では、田園風景が続きポツリポツリと民家が見える。途中、集落を通ることもあるが、人を見かけることは少ない。それに信号もほとんどない。ガイドのキムさんに「ホント、信号がないね」と尋ねると、「韓国人は信号があっても守りませんから意味ないです」とのこと。釜山で、すでに韓国人の走りを体験しただけに妙に納得してしまった(苦笑)。
それに、信号が赤であっても右折(日本では左折にあたる)は安全を確認しながら進むことが出来るので、殆どノンストップで走ることが出来る。
信号は少ないが道路のいたる所にスピード抑制のための盛り上がり(ハンプ)が作ってあり、黄色のゼブラ模様なのですぐわかるのだがダミーもたくさん作ってあり笑ってしまう。
それにオービスが一般道路にも設置してあるので、スピードオーバーには注意しなければならない。日本まで違反切符が来ることは、めったにないらしいがあまりに悪質だと通関に通報されるらしい。
バイクに出会うことはほとんどなく、一般道には日本の「道の駅」みたいな場所もまったくなし、田舎のせいかコンビニもない。しかも国道沿いなのにスーパーやディスカウント店さえない。ただし主要道には、ガソリンスタンドだけは結構あるので走るのには問題ない。(ハイオクはほとんど扱っていないが)
韓国で一般的なガソリンスタンド、レギュラーで1,550W(124円)くらい |
そして不思議なのは、所々に現れる温泉マーク付のホテル。見た目は日本のラブホテル、キムさんいわくモーテルだと言う。それが集まって町になっているような所もあり「こんな田舎なのに…」韓国、摩訶不思議な国です。
国道24号線を離れ、今回、三つ目の世界遺産「海印寺」(ヘインサ)と向かう。
山深いところにあるが世界遺産なので観光客は多いけれど、日本人観光客は少ないらしい。ここには世界で最も完璧な仏教の経典(原版)が保存してあり、しかもそれを惜しげもなく一般に公開しているところに感心してしまった。日本であれば書庫などに保存して非公開にするだろう。
2日がお釈迦様の誕生日(日本の花まつりで韓国では休日)だったらしく、その名残りの提灯が連なって飾られており、古めかしいたたずまいと鮮やかな提灯とのコントラストが印象に残った。 私はお土産として、原版で刷った経典を1枚記念に5,000W(400円)で購入した。
山道を帰る途中、昼食に冷麺(6,000W=480円)を食べたが白濁したスープでとても美味かった。
それからは再び24号線に戻り、ひたすら光州を目指す。途中で人口10万人の南原(ナムウォン)という街を通り、光州市に入る手前で夕方のラッシュと重なり大渋滞にはまった。
ほとんど、前に進まないスミダ!!
さすがに光州は、人口140万人の韓国七大都市の一つだ。渋滞の中で隣にいた生馬さんがR1100RSの「油温計が上がってきたからヤバイ」「前にこれで、センサーが壊れた」とあせっている。しかし一向に進まない。「光州にもBMWの代理店ある?」と聞かれたので「あるよ」と答えると安心したようだったが、壊れた場合の部品があるかどうかは分からない。鈴木さんのR69Sは相変わらず低速ではパッスン、パッスンと調子がイマイチだ。
出発前に鈴木さんが「中島さん、新型より旧型の方がトラブルがあった場合は部品なしでもなんとか直せるので帰ってこられる確立は高い」と言うので、私も納得して旧車R60にしたのだ。鈴木さんの旧車R69Sはなんとかここまで来られたが、新型R1100RSで部品がなかったらここでリタイヤだ。鈴木さんの予言どおりになるのだろうか?
それにしても、私のR60は絶好調。所有して26年になるが今までで一番調子が良いかもしれない。
やがて市内に入りやっと渋滞も解消して、生馬さんも事なきを得た。
光州市街に入ると、真正面に真っ赤な夕陽が沈んでいくのが見えてつくづく半島の西の端まで来たことを実感した。
キムさんが無線で「今夜の宿はどうする?」と聞いてきたので、「ビジネスホテルを探してくれ」と言うと、「ビジネスホテルは高くて汚いしダメ」だと言う。「じゃー、どこが良い?」と聞くと「モーテルが良い」という、「モーテルと言えば例のラブホでしょう」というと「そうです」とのこと。時間も20時頃となり暗くなってきたこともあり、「ラブホでいいから4部屋取ってくれ」と伝えてキムさんの後をついていった。
そしてビル街の角を曲がった途端、目の前に現れたのはピンクや赤のネオンだらけのラブホ街!右を見ても左を見ても上を向いてもギラギラのネオン!!これには驚き、メットの中で「うわッ」と声を上げてしまった。横浜の曙町もかなりのものだが、その比ではない。
モーテル街、しかし1階にはコンビニなどもある |
我々が泊まったモーテル |
キムさんが部屋を取ってきてくれて部屋代は一人40,000W(3,200円)、そしていよいよモーテルに入って行く。日本では最近見かけなくなった目隠しの縄のれんをくぐり中に入ると駐車場は結構広い。我々のバイクは係りの人が来て監視カメラでよく見える場所に停めさせてくれた。
各々が鍵をもらい部屋に入るが、室内の装備ほとんど日本のラブホテルと同じで、その手の自販機もあるしベッドは大型のダブルベッドだ。ただし部屋は結構広く大型液晶テレビがあり、なんとインターネット使い放題!!シャワーなどの設備も立派!!
キムさんが言うとおり、中途半端なビジネスホテルより快適で、特に光州では競争が激しいので設備が良いらしい。
早速、シャワーを浴びて旅の疲れをとる。今日は東の慶州から西の光州まで半島を横切っての約420km。よく走った。
その後、ネオン見物もかねて外に食事に出ると、モーテル街なのに立派な普通のホテルもあるしロッテデパートみたいなもある。いったいどういう風に共存しているのか?ホントに不思議だ。
食事ではナジュコムタン(6,000W=\480)を食べたが、従業員のアガシ(娘)たちが日本人を見たことがないらしく、我々を興味深く見ていたので「イエーポヨ」というと「カムサハムニダ」と照れていた。「イエーポヨ」とは「可愛い」という意味なのだ。
ネオン街を写真に撮り、部屋に帰ってインターネットでクラブの掲示板や木下さんのブログなどを見て、掲示板にローマ字でカキコミをした。(見るのは日本語で見られるが、日本語入力は出来ない)
そして、大きいベッドで一人寂しく就寝したが、生馬さんはナイトライダーと化し夜の闇に消えたらしい・・・。
5月6日
朝、みんな異口同音に、「ラブホ、最高!!」「バイクは安全に停められるしこれからはラブホにしよう」など韓国ラブホを絶賛!!
朝食は歩いて近くの食堂で食べて、それからホテルに戻り駐車場を出る時に、目隠しの縄のれんの所で生馬さんが突然の転倒!!大した事がなく良かったが、どうやら転倒の原因は昨夜の腰の使いすぎのようだ。
それにしても今日も良い天気だ!!空は雲ひとつなくコリアンブルー。
郊外にちょっと出ると車もほとんど走っていないので、清々しい空気の中を快適にツーリング。
今日はまず、光州より30kmくらいの所にあるこの旅で四番目の世界遺産「支石墓郡跡(コインドルユジョッ)」を訪ねることにした。それは国道を外れて更に4〜5kmダートを走った所であった。土方さんはR1150RTなので大丈夫かと思ったけど無事クリアー。
山奥だけあってさすがに観光客は我々だけで誰もおらず、係員の方が親切に説明してくれた。支石墓とは、紀元前1000年前の大石を乗せた墓のことで、ソウル近郊も含め1,000以上点在していて九州地方にもあるらしい。
奥の空調完備の建物に展示 してある |
記帳する土方さん |
見学が終わりまたダートを走るのかと思ったが横切るだけで国道29号線に出て、それから2号線に入り「楽安邑城民族村(ナグァンウブソンミンソクチョン)を訪ねた。
ここは日本でいうと合掌造りで有名な白川郷みたいな所で、昔の家屋や城壁が復元されており現在100世帯あまりが生活しているらしい。実際に歩いてみると、洗濯物が干してあったりして生活感がある。ほとんどが民宿を生業としているようだ。ここで、キムさんはお土産に鍛冶屋でハンドスコップを買っていた。
城壁に囲まれた村内は意外と広く代官屋敷などを見学していたら、昼になってしまったので食事をしようとしたが村内には適当な所が見当たらなかった。そこで駐車場横の食堂に入ったのだが、暑かったせいかもしれないがここの冷麺は本当に美味かった。いつも韓国に来ると感じることだが、なんでもない食堂でもやたらと美味しい!辛いものが苦手のようで苦労していた土方さんもこの冷麺は気にいったようだった。
本日の宿泊地は晋州(チンジュ)と決めていたが、どうしても見たいのがあって寄り道することにした。それは亀甲船(コブクソン)だ。
亀甲船とは、朝鮮出兵した豊臣秀吉と戦った際に韓国の李舜臣(イ・スンシン)将軍が率いた水軍が用いた船のことで、屋根に付けた鉄の突起が亀の甲のように見えるので名づけられたものだ。九州一周ツーリングの時に立ち寄った佐賀県・名護屋城博物館で秀吉の壮大な計画を打ち下したシンボルなようの形で10分の一の模型を展示してあったのだが、なんとしてもその原寸大のレプリカを見たかったのだ。
2号線から順天(スンチョン)より亀甲船がある麗水(ヨス)へ向けて17号線を南に向かって走ると車の量が増えてきた。2012年に世界博覧会が麗水で開かれるためにあちこちで道路工事をしていた。人口31万の麗水の市街に入ると、街全体が何となく綺麗だ。これも世界博のお陰か。
麗水市街を通り抜け突山島への450mの大吊り橋の突山大橋を渡ると、亀甲船はその橋の脇に停泊していた。停車し岸壁から対岸を見渡す麗水の景色は、高層マンションが立ち並ぶリゾートのような雰囲気の美しい景色であった。
入場料(3,000W=240円)を払い船内に入ると、その当時の大砲や武具などが展示してあり、秀吉と戦った時代にタイムスリップしたようだった。
亀甲船を見物し終わり、また同じ道を引き返し麗水市街を通り抜け2号線に戻り晋州(チンジュ)に向かった。
晋州の晋州城(チンジュソン)に着いたのは6時過ぎであった。
キムさんが今夜もまた車でラブホを探しに出かけ、我々は夕陽に染まる晋州城をバックに記念写真を撮った。
キムさんが戻って来て「すぐ近くにとったので後についてこい」と言うのでついて行くと、本当に歩いてもすぐ近くのモーテル(日本のラブホの雰囲気だが韓国では普通に宿泊しているらしいのでこれ以降はモーテルと呼ぶ)だった。
シャワーを浴びてから散歩も兼ねて外食することになったので、私がガイドブックに載っているユッケビビンパ(9,000W=720円)を食べようと提案して行ったのだが、その店は建物(晋州の優秀建築物)は立派だったが観光客専用のレストランらしくみんなから不評を買ってしまった。
帰りがけにライトアップされている晋州城の前で記念写真を撮り、各自部屋に戻って就寝した。
南江ほとりの公園、左奥に見えるのが晋州城 |
ライトアップされた晋州城 |
5月7日
いよいよ、今日は韓国ツーリングの出発地・釜山へ戻る日だ。
朝食は時間が早かったためかお店が営業してなくてやっと見つけた定食屋に入ったのだが、ここでキムさんが注文した料理の量がすごかった。いわしの煮つけなど色々な料理がテーブル狭しと並んで「これ、朝から全部食べるの?」って感じ。こんな大量に朝から食べる韓国人パワーには参りました。
食後に、バイクをモーテルの駐車場(出入り自由なのだ)に停めたまま歩いて晋州城を見学に出かけた。時間が早かったのでなんと入城料は無料であった。ラッキー!
晋州城は、秀吉軍との戦いで民間人も含め7万人余りが玉砕して陥落した悲劇の地でもある。その模様を壁一面の大レリーフにしてあったが、見ているだけでも悲惨さが伝わってきた。女子高生らの団体がレクチャーを受けていたけど、我ら日本人の事をどのように説明しているのであろうか。
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レリーフ |
義岩(ウィハム):岩の上での祝宴の際、韓国人の芸子が日本軍の倭将を抱いて南江に投身
して殉国したことで義岩という名になったらしい。 |
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韓国、特に南部地方の歴史は、侵略され続けた歴史なのだ。
城内にある国立晋州博物館(クンニッチンジュバンムルグァン1,000W=80円)を見学する。館内は見学者も少なく、ヨン様似の係員より流暢な日本語で説明を受ける。
韓国は儒教の国で男尊女卑のイメージが強いが、儒教の創設時は全てが平等だったらしく時の権力者によって歪曲されたと言う話は興味深かった。
当然、日本の侵略についての展示も多数あったが、その説明文には「日本」という文字はなく「倭軍」と記してあった。日本人観光客も多いので、少し気を使ってくれているのであろうか?ここにも亀甲船の模型が展示してあった。そしてヨン様似の係員にお礼を述べて博物館を出た。
それからモーテルに戻り、釜山へと出発した。
国道2号線を約130km走ると釜山に着くのだが、2号線はバイパス化されていて一般道とは思えないほど立派な道路でしかも車がほとんど走っていない。最高速度80km。途中昼食を取ったが、15時頃にはすでに釜山へ到着していた。
まず釜山タワー(プサンタウォ)を見学しようと思ったが駐車場の問題もあったので、先にホテルを取ることにした。釜山はキムさんの地元なのですぐに、モーテルは見つかりチェックイン。ここ「モーテル・モンベル」は日本人がよく利用するそうだ。
シャワーを浴びて、早速、歩いて釜山タワーを目指す。ちょっと階段はきつかったが、タワーがある竜頭山公園(ヨンドゥサンコンウォン)に20分ほどで着いた。入場料3,500W=280円払い高速エレベーターで展望台へ昇ると、釜山を360度展望できて対馬も見えるらしいが天気は良かったのに見えなかった。
展望台でキムさんより釜山市街の説明を受ける。韓国第2の都市だけあり人口は周辺も含めると500万人ほどが住んでいる大都市だ。日本で言えば、我が地元・横浜か。
釜山のシンボル的な釜山タワー |
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公園を後にして国際市場(クッチェシジャン)まで歩いていく。
途中でR1100RTを見かけたがナンバーが付いていなかった。韓国ではナンバーが付いてなくても平気なんだろうか?
市場には30分ほどで着いた。私はソウルには何度も行っているので市場は見慣れているが、他の3人は初めてなので興味津々のようだった。市場は規模も結構大きく、キムさんの案内がないと迷子になりそうだ。地下にも大規模な市場があるということで、下りてみたが閑散としていたのですぐに地上に戻った。この大規模地下街は、有事には防空壕になるようだ。10数年前まではソウルタワーでの写真撮影は禁止だったらしい。そう、つい、最近まで韓国は戦時体制だったのだ。
それからチャガルチ市場(チャガルチスジャン)まで歩いて行った。
ここは韓国最大の海鮮市場で、近代的な7階建ての建物に入るとフロアー全体が巨大な魚屋だ。イケスにいけてあるものをその場で食べられるというので、早速、注文!新鮮なイカを注文してまずは乾杯!! 夕食の時間も近いので軽く食べるつもりが、あまりの美味しさについつい他のサシミなども注文して気がつくともうお腹が一杯になってしまっていた。
チャガルチ市場 |
食事の後に2階へ上がると、海産物中心のお土産屋さんがずらりと並んでいて、そこで我々もお土産を購入した。
帰る頃にはもう辺りは暗くなっていた。さすがにお腹もいっぱいなので、夜景を楽しもうと再び釜山タワーに上ってネオン煌く釜山の夜景を堪能した。
結局、夕食は食べることなく、部屋で軽く一杯やって就寝した。
今日はいよいよ釜山出航の日だ。
朝食はソムロンタン(7,500W=600円)を食べる。やはり、韓国での朝食はこれに限る。今日はバイクを止めて、キムさんの車で観光することにした。
まず海岸線を北の方へ進み、途中で韓国有数のリゾート地「海雲台」(ヘウンデ)を見学する。日本で言えばさしずめ熱海といった所であろうか?あたりには立派なホテルが立ち並んでいた。
それからキムさんの案内で、機張(キジャン)の海東竜宮寺(ヘドンヨングンサ)を見学する。ここは観光客だけでなく、地元の方が熱心にお参りしている姿が目立った。韓国では儒教の隆盛時に仏教は山奥へと追いやられたらしいが、ここのお寺は海岸沿いにあるので珍しいとのことだ。
海東竜宮時、正面 には日本海が広がる。 |
今日の昼飯が韓国最後の食事ということで、キムさんお勧めの韓国伝統料理を食べに行くことにした。その「フクシル」というお店は、お寺からすぐの所にあり建物自体も伝統料理店らしくの昔の民家風で、お昼少し前だったがすでにお客さんがたくさんいた。とても人気のあるお店のようだ。
注文した料理は田舎料理らしくヘルシーなものばかりなのだが、次々と出てきてとても食べきれないほどの量!でも珍味もあってなかなか美味しかった。
食後は高速道を使い釜山に戻り、15時半から出国手続きが始まるので14時頃には荷物をバイクに積み、国際ターミナルへ向かってキムさんともここでお別れとなった。
キムさん、カムサハムニダ!
出国ターミナル前で記念写真を撮り、まずカウンターで乗船の手続きをする。乗船券をもらいターミナル使用料3,200W=250円を支払い終了。次はバイクの通関手続き。これは来たとき同様に韓国語が分からないので、ファイルを見せて必要書類だけを取ってもらった。ここで車のBMWを発見!ドライバーは日本人の方で、何度もフェリーを利用しているとのことだった。
係員の指示に従いバイクはフェリー横の桟橋におき、出国手続きが始まる18時半まで待合場で待機することになった。待合場ではお土産屋などを冷やかしていたが、3時間待ちはさすがに長かった。
18時半に人間の出国審査が始まり、誰も問題なく簡単に通過。いよいよバイクと共に乗船開始だ。トラックやコンテナは何台かいたが、一般乗客での乗船は先ほどのBMW車1台、それに我らバイク4台だ。
すぐに風呂に入りロビーに出ると、来た時と違って乗客が全然少ない。聞いたところ、乗客は80余人らしい。定員が460人だからガラガラなわけだ。
20時頃、船はゆっくりと桟橋を離れていった、我々もデッキに出て釜山の灯が見えなくなるまで見つめていた。
釜山よ、サラバ・・・。
船内で来た時と同じく窓際のテーブルに陣取り「乾杯(コンベ)!!」
そして無事終えたことの安堵感にひたって韓国での思い出話で盛り上がっていたら、何と!レストランの営業時間を過ぎてしまった。トホホ…。仕方なくツマミなど食べてお腹をごまかし11時頃就寝した。今回はアジュンマ(おばさん)の声などもなく、船内は静かであった。
5月9日
早朝に下関へ到着していたようだが、日本でも税関が開く8時まで待って下船。ところが、鈴木さんが桟橋に出て来ない。どうしたかと心配していたら、バイクを押して下りてきた。エンジンがかからないようだ。通関の手続きは2階だったが、係りの方が鈴木さんの69Sを押してくれて何とか通関手続きを済ませることができた。
そして、鈴木さんの69Sは何とかエンジンがかかるようになった。
ここはもう日本国内だから何とかなるだろうと、国際ターミナルを後にして高速に乗る。道中は、不調の鈴木さんを先頭に、私、土方さん、生馬さんとでカバーするようにして走った。
さすがに休まずに帰るのはきついので、今夜は滋賀県・大津市のビジネスホテル(モーテルではなく)に一泊することにした。
5月10日
本日も晴天なり。本当に今回のツーリングは天候に恵まれて最高だった。
「草津田上IC」から高速に乗ったが、韓国のバイパスのようにガラガラでとても連休最後の日とは思えなかった。
富士SAの近くで富士山が見えた時、ようやく韓国ツーリングを無事に終えて帰ってきたことを実感した。
出発地の海老名SAに着いたのは、ちょうど14時であった。そこには、友人のHさんがR1200GSアドベンチャーで出迎えに来てくれていた。私はHさんと食事することにして、サムライライダーたちと別れ、この旅が終わった。
※文中のウォンと円の為替レートは1ウォン=0.08円として計算しています。
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