集合場所の所沢へ到着するとすでに2台の100 R S のSC2台が待っていた。暫くすると7台のフラットツインサイドカーは揃い、更に途中で多磨方面から3台のSCと50Sソロも合流し一路小鹿野町へ。
この時期、例年は国道199号の秩父市内手前、羊山公園での芝桜の最盛期にあたるため大渋滞の予想はたいしたこともなく、拍子抜けしながら140号経由で本日の第1目的地の小鹿野町(おがのまち)へ到着。
●ライダ一を温かく迎える町おがの
小鹿野町は「花と歌舞伎とオートバイのまち」をコンセプトに、町ぐるみでライダーを温かく迎えようと町長自らスーパーカブをお洒落なスポーツタイプに改造して乗られたり、バイクによるまちおこしとしていろいろなパフォーマンスを展開している。
例えば地元出身のミュージシャンACKOさんにテーマソング「スイートロード〜R299〜」(曲が聴けます♪)を作てっもらい発売(バイクにかけ819円)。
市街地では町の名物の「わらじカツ丼」が食べられる食事処では2輔車専用駐車場があったり、昨年のまちおこしイベントオープニング会場となった夢鹿庵では専用駐車場(ヘルメットロッカー付き)を備えたライダーグッズ販売店があったり、旅館・ガソリンスタンド・飲食店など10店舗以上の協賛を得てライダー利用特典のなどが行われ、小鹿神社に至ってはバイクの安全祈願など、町全体でジェントルライダーの来町を期待している様子がよく伝わります。
今年はバイクのまちおこしとして更なる発展を期するため昨年まで町営温泉であった施設を改装し、新たに『モーターサイクルミュージアム・バイクの森おがの」として5月2日の昨日オープンとなりました。
さっそく入場券を購入し2階の正面玄関を入ると左に昭和天皇のパレードに使用された国内に10台しかない陸王のサイドカーが目をひきます。奥に進むとBMW旧タイプ、ツンダップ、NSU、DKW、グッチ、MVアグスタ、ビモータ、ベネリ、トライアンフ、ノートン、マチレス、ラベルダ、ヘスケス、ミュンヒ、BSA、ハーレイなど120台が展示されていました。
中でも個人的に注目したものを挙げると80年前頃すでに水冷2ストエンジン搭載していたスコット。また、今から60年前の市販車として驚異的な最高速200キロをマークした性能を持つビンセント・ブラックシャドウ、当時のヨーロッパのオートバイメーカーの技術力は大したものと感心してしまいます。また、戦後の日本のモデルもブリジストンなど今では全く目にしないバイクも展示され、よくこれらのコレクションを集められたものだと思わずにはいられません。
聞くところによれば、これら全て東久留米のトマトモータース社長さんが個人で集めたものだそうで大変な努力を重ねて集めレストアされた結果でしょう。
今後はリピータを増やす工夫として、美術館のように展示車両の定期的入れ替えが欠かせないと思いました。全国にある同様の施設と連携し融通し合って企画展などが実現すると更なる発展が期待出来そうです。
●一路車山会場へ
「バイクの森おがの」を後に国道299を西に進み志賀坂トンネルを抜け上野村道の駅で昼食を取りいよいよ十石峠を目指します。
道幅も狭くなり対向車とのすれ違いに注意しながら進むと工事のため通行止めとなっていて、仕方なく代わりのルートを捜すと看板にぶどう峠方面から脇の林道を通るように指示が。十石峠手前で本来の299号へ合流し峠の頂へ。
長い下り坂のドン付きで141号を右折すると佐久市、ここから142号へ。
この辺りの前山地区は2年前の大河ドラマ風林火山で信玄が千曲川を挟んで対岸奥の志賀城を攻める際本陣を張った拠点で、志賀城を攻めるにあたり群馬方面から志賀城へ応援に駆けつけた敵兵数百騎の首を刎ね城の周りに並べ城兵を脅かしたと言う恐ろしい出来事があった場所。
さて、道は更に西へ進んで望月を過ぎ白樺高原入り口で県道40号線を左折。長い坂を登って行くと長門牧場の先に白樺湖が見えました。
更に進み霧ケ峰ビーナスラインから見える素晴らしい山々を眺めながらついに車山高原の「車山ハイランドホテル」【地図】に到着。
事務局の方達が誘導してくれる中、駐車場へ進むとそこには多くの懐かしい顔が。先着していた風見さんご夫婦からいつものように缶ビールの差し入れで喉を潤し一同ホットー息。
いつも感じる風見さんの仲間への気配りありがとうございます。
夜はいつものように酒を酌み交わし、サイドカー談議で盛り上がりました。
●海野宿へのクラブツーリング
翌日は、ビーナスラインツーリングを見送った後、いつものように我々の仲間でプライベートツーリングに出掛けました。
大門峠から152号線を北へ進み千曲川を越えたところが北国街道。
この街道は中山道と北陸道を結ぶ重要な街道として佐渡の金の輸送や、北陸の諸大名が参勤交代で利用したそうです。街道に当たって東に進むと新しい建物が徐々に減り、美しい格子が似合う伝統的な家並みの建物群が続き、まるで時代劇の中にいるような町が海野(うんの)宿です。
隣家境に立派な卯建(うだつ)を見ながら進むと燕が巣作りに励んでいました。 5月を感じさせる風景です。
昼食の時間が近づき日本蕎麦の美味しいところとへのリクエストに昨年秋のBMWフェスティバルで立ち寄った上田の「やぐら亭」が良いとの声に、上田の何処ですかと?聞くと誰も場所が判らず電話番号を頼りにやっとたどり着き、美味しいザルソバを黙々と食しました。
食事も終わり上田の土産物「みすず飴」で有名な飯島商店へ。レトロな店構えの店内で勧められたゼリーを試食し美味しいものの4時間しか日保ちせず、土産としては諦めることに。
ここからすぐの上田城は戦国期、真田昌幸(信之・幸村の父)が築城し、その後、大坂の陣では和歌山に流された幸村は豊臣方、兄の信之は徳川方と兄弟が扶を分かって戦った結果は徳川方の勝利。 関が原の合戦期から幸村親子に恨みを抱いた2代将軍秀忠は信之に松代への国替えを命じたものの、今の時代も地元では真田が一番の殿様と称えているからと思う次第。
さて、ミーティング時間に間に合うよう急ぎ帰ると駐車場では片輪走行を行っている。その場でサイドカーの転倒を目撃。片輪走行は低いギヤで走るため大きな事故とはならないし、長い距離を走るのは難しい。
この技が一般道で使えるのは、サイドカーは2本の轍となるためカー側の進行方向に空いていた穴などの障害物を避けるのに浮かせて避ける技としては有効ではあるがカーに重い荷物やパッセンが乗車している場合は十分なアプローチが確保されないと浮き上がらせることは難しい。
●今年も最終日は雨予想…。
前日の天気予報では帰路を中央道とするとコース上の山梨は午前中から雨、信越道では群馬から埼玉は正午から降る予報であるため、朝食後直ちに信越道経由で出発し。
自宅へは11時過ぎの早い帰宅が叶い荷物を解いているうち大粒の雨が、今回はカッパを着る事なくギリギリ滑り込みセーフで到着となリました。
追伸;東部湯ノ丸では皆さんETC利用で素早く高速に突入、置いてけぼりをくらう。3月に取り付け予約したものの未だ所沢○ッツより何も連絡は無し(怒)
取り付けは1,000円利用の期間終了後に?と勘ぐってしまう。
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