10:00集合の30分前に待ち合わせ場所にて待機。
天気は晴れで右足も若干の腫れ。何とかツーリングも行けそうだ。立ちゴケを考慮して今回はサイドカーにする。カーにはしっかりとステッキを装備した。
すぐに富岡の田中さんも出没した。子供の遠足前日の如く、眠れなかったらしい。定刻には全員揃い、いざ出発となるが、昼飯までの時間潰しに苦慮した。
甘楽町の物産センターに寄り、小幡の古い町並みを見てから予約してある蕎麦屋(泰兵衛)に到着。小生お勧めの蕎麦屋だが、蕎麦の好き嫌いは人様々の為、何人かの美味い!の声に安堵する!(^^)!
ツーリングも只黙々と走るだけでは芸も無い。隠された教養も必要だ。あまり興味無さそうに見える皆の衆を無理やり群馬県立自然史博物館に入館させた。
中に入れば結構面白いらしく、見学する歩行速度もローギヤーになった。途中で館長にアポを取り、普段は見られぬ秘蔵の品々を拝見させて頂いた。
館長は考古学者(日本を代表する凄い人)で小生は酒宴席からの知り合いだが、無理なお願いを快く引き受けて頂き有難かった。熱心に説明してくれた館長にお礼を言い外へ出た。予定時間を超過したが、館内から出てきた皆の衆の顔は何故か凛々しく見えた。
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群馬県立自然博物館・実物大の恐竜が所狭しと陳列してある。一見の価値有りです。 |
ここで、日帰りの金子さんを見送る。
群馬の上毛三山の一つで日本三大奇勝の妙義山を走り、中之嶽神社で小休止。
以前は良く見たサルの姿は見当たらない。おそらくは反対側の裏妙義に移動しているのだろう。昔の話だが小生が軽トラに乗って走っていたら側道の小枝に小猿を発見。エンジンを切り、走りながらそのままアクセルを5回ほど踏み込み濃いガスをキャブに吹き込んだ頃、再びエンジンのキーを入れる。パーンという物凄い音を立てる。いわゆるガスパンというやつだ。小猿も木から落ちる。今は大人になったので、そんなイタズラはもちろん卒業している。
昨年の今頃、日帰りツーで上野村を訪れたときに不二洞祭りで芋串を焼くオヤジに会った。聞けば旅館のオヤジさんで「冬の2月までは山で猟師をしている。それを過ぎれば獲物を食わせるから来い」と声を掛けて貰った。沢山来ると大変だから20人以下で来い!と言われた。
商売気の無い事を言うので不思議に思ったが、その不二野家に泊まってみて、その訳が判明した。出来立ての美味しい料理をご馳走するには大人数では駄目だと言いたかったのだろう。
熊肉・猪肉のバター焼きに始まり、鹿肉の刺身・魚の塩焼き・手打ちのうどんに舌鼓を打ち、痛風の強敵プリン体がどれに入っているのかも忘れて無心に食べ続けた。
さすがにビールと日本酒はさけて薄めの焼酎ウーロンを飲んだ。
たらふく食べて飲んで翌朝の勘定を見てビックリリーズナブル!
その晩は体をいたわって8時には布団に入った。翌朝は4時に目が覚めてしまった。同室の2人も起こしてしまい、テレビを見ながら朝飯までの長い時間を待つことにした。6時にオヤジさんが来て、朝飯食えるよ!の声に食堂に直行。普段宿には職人さん達のお客も有るらしく、朝飯の早いのは珍しく無いとの事。朝飯が早ければ出発も早くなる。8時には現地での解散式を行い、それぞれの行程で出発する。
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この雑然とした、止め方は我がクラブらしくて最高です。 |
昨年参加したツーリングは八割強の確立で雨に祟られた。何時しか小生には雨男の称号が付けられていたが、今回のドピーカンツーにより、晴れ男に変身した。雨男は今回来れなかった敬ちゃん(饅頭屋)に譲る事とする。これからも天気の怪しい時には是非晴れ男の小生を誘って頂きたいものだ。
上野村と言えば皆さんご存知の大変痛ましい日航機の墜落事故を思い出す。23年前になると聞いた。当時、宿のオヤジさんはバリバリの消防団員で、事故当日はいち早く現場に駆けつけて救助に向かったと聞いた。奇跡的な4人の生存者が有ったことは嬉しいニュースだった。しかし500人以上の犠牲者があった事も事実である。亡くなられた方々のご冥福を改めて衷心より祈り、助かった4人の方のご健康を心から祈りたい。
※以前の「ジャンボ機墜落事故追悼ツーリング」レポート→こちら
特にこれと言った計画も無いが、やはり東北は捨てがたいし、ひなびた温泉は行ってみたい。事務局で計画したツーリング以外にも一人でのんびりツーリングも好きなのでマップを片手に思案中である。
今年の主役はBMW・ポリス辺りになりそうだ。痛風の薬をポシェットに入れての旅も乙なものだ。ここで、一句浮かんだ。 このお肉、美味しいね!と知らずに食べたらプリン体、僕とメタボの痛風記念日。
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