朝方の凍結をさけるため、7時半頃のゆっくりのスタートとした。高速を使う気はなかったので4号線を北上する。今回のコースは会津西街道で旧舘岩村(たていわむら)の木賊温泉(とくさおんせん)に入り友人の住む古町までである。
五十里楜あたりからが心配であったが、路面はいたって良好でこれと行った危ない箇所もなく中山峠を通過した。トンネルの出口が危ないのだ。山のこっちとあっちでは状況が一変することがある。注意をはらいつつ走りつづけ湯の花温泉へのT字路までやってきた。
一人である。それ故に事故トラブルは許されない、自分一人でリカバリーできる範囲など限られている。だからこそ条件の良い日を選んだのだが,良すぎてしまってこれではチェーン走行の試走にはならない。やっとこの交差点より全面テカテカの雪面が見えたので,ここからチェーンを付けることとした。
関東の庭の梅の木は咲き始めた頃だが,この山里はまだ雪深く,強い前線でも通過しようものなら50〜60センチはすぐに積もってしまう。
だが今は圧雪とアスファルトのまだらの道を40キロ以下のスピードで木賊温泉に向かっている。4輪用に比べて細いチェーンは削れて切れてしまう感じが頭から離れない。実際どれだけドライで走れば切れるのか知りたいところではあるのだが、順調のうちに木賊温泉に到着する。
季節が変われば景色も変わる。やってくる者の乗り物も変われば,人も変わる。しかし,このいで湯はいで湯なりの変化はあれども変わらずに湧きい出てつかの間の安堵を与えてくれる。見慣れた木組みと寄付をされた方々の名前を追っているうちに私の友は現れた。以前,都内で共に仕事をし,節目を迎えたのかふるさとに帰り、こちらで活躍している彼である。村の良さは以前から彼に教わり幾度となく浸からせてもらった木賊温泉であった。
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彼の自宅は古町にあり一晩やっかいとなった。もっといろいろな雪面でまたタイヤの空気圧の善し悪しを確かめれば良かったのだが,酒の誘惑には勝てず,ビールが出てきたし まったところでバイクのキーを抜いた。
話は深夜までつづいたが,焼酎とツララは絶えることはない。雪で封印された村の夜は静かで,たまに除雪のローダーのチェンの音がするのみで,うっすらと曇ったガラス戸の向こうにツララをよけて見える夜空の星はきれいに見えていた。しかし,天気予報は明日午後からの大雪を通告するものであった。
青空の下,お礼をかねた雪下ろしを手伝った。
11時前、もう一泊を誘われたがやはり帰ることとした。湯の花温泉までチェーンはそのままで,到着とともにチェー
ンをはずした。中山峠を越えて田島の道の駅あたりで雨が降り出した。この雨は宇都宮までつづく。
4号線を上りつつ都心の方を見れば空がまっ茶色ではないか。そして翌日ニュースを見ていて,今回のツーリングは運は良かったのだと確信した。
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