7日、昼頃オークランド空港に到着。
出迎えの民部氏と1年ぶりに会い、早々にケン・マッキントッシュのバイク工場へと向かう。3週間前に航空便で送ったBMW・RS54の状態の確かめと今後の スケジュールを聞くためだ。
工場に着くとケン・マッキントッシュとそのメカニック達にも出迎えられ再会を確かめあった。工場では明日より出場のマンクス・ブラフシュペリアの整備に余念が無い。尺Sはまだ梱包か解かれてなく隣の倉庫の中との事、倉庫に行くとサニー・ミラーのマシンAJSポーキュパインとジレラの4気筒が置いてあった。
早速RSの梱包を解きマシンの点検に入った。
航空便で飛ばす以前、5年越しで夏から秋にかけてボクサーショップの神宮寺さんにオーバーホウルをしてもらい日本国内のMCFAJの最後のレース、筑波サーネットでサイレンサを入れ調整をしたが回転が上がらずサイレンサは断念し大筒のまま調整を行った。
ホンダ500
エンジン:空冷4サイクル、DOHC4バルブ、4気筒
排気量:489.9cc 最大出力;90hp/12,600rpm |
ヤワ350
エンジン:空冷4サイクル、DOHC、2気筒
排気量:347.7cc 最大出力;59hp/10,500rpm |
ジレーラ500
エンジン:空冷4サイクル、DOHC、4気筒
排気量:489.4cc 最大出力;70hp/10,500rpm |
AJS500ポーキュパイン
エンジン:空冷4サイクル、DOHC、水平2気筒
排気量:497,5cc 最大出力;45hp
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梱包を解いたがマシンは無事で、早速、燃料のアブガスを入れマシンに火を入れる事にした。その時アメリカのテキサスにバイクミュージアムを持つバージル博士が寄って来て「お前、此のマシンを1万回転以上回すのか」と聞かれ私が「イエス」と答えると首を傾けた。彼も私より2、3年前の占い同型マシンを持っており火は入れてないらしい。燃料も入りエンジンを掛けるとマシンの音と回転の上がりに驚いていた。
翌日の走行を楽しみにホテルに着きチェックインを済ませ、明日から走行を楽レみに体を休ませた。今後の予定は、7日は練習走行2回後、夕刻にバーベキュー。8日はレース2回、デモ走行1回、夕刻ゲストを招き主催功労者に感謝パーティ、9日はレース前にコースに全てのマンンを並べて各自の出場を讃えるなど確認する。
7日工場よりトランスポーターにバイクを乗せオークランド郊外のポケコエレース場に向かいピットテントにマシンと工具を降ろしレースの段取りをした。段取りが終わり次第、受け付けと装備確認と車検を行い午後よりの走行を待った。
午後の走行が始まり走行の順番が来て気持ちの昂りを押さえ、1年ぶりに走るポケコエサーキット1周約5kmのコースヘと向かう。
最初の走行ではコースを確かめ暖気運転の回転の上がりと走行時の回転の上がりを確認したかやはり走行時に負荷がかかり回転が9、000回転しか上がらず2回目の走行迄にキャブフロート位置調整し走りに備えた。
2回目では回転数も順調な上がりをみせ快調な走りをして走行を終えた。その後はその日は主催者主催のバーベキューでビールと大きいフランクフルトが振る舞われ1日目を終えた。
8日、今日から本格的なレースが始まり、第1回目の走行は500ccファクトリーマシンのスタートだった。その日、昼時に通り雨があったがレースも順調に進み、第2回目のグランドスクラッチレースも終わり最後のデモレースはAJSポキュウパイン、ジレラ4気筒、ホンダRC350、JAWA500等と走った。
その日夕刻はレースに貢献した人達を称え記念品を与え夜8;00頃までパーティが行われた。
9日レース最終日、朝から夏なのに寒い雨が降りレース会場のマシン展示は中出されたがレースは時間通り行われた。前半のレースは大事なマシンの人達は走行をやめて後半の雨上がりを待った。私も午後の雨上がりを期待して待った。
後半のレース、時間前に雨も上がりコースの路面も乾き、終盤のレースも何とか終了2008年のレースを終えた。その後、受賞パーティが行われた。
パーティでは、児童福祉の寄付のため、ケン・マッキントッシュが丸坊主になり寄付金を集め会場で約NZ$1,300ほど集まるなど盛り上がり夜の10時近くまでレース場特別会場で行われ無事閉幕となった。
3日間通してのレース結果のタイムは良くなくキャブ調整の予備パーツが無くギヤも1速で10,000回転まで上げ2速に入れるとノッキングが発生し直ぐに3速に入れなければならずコーナーが早く走れなかった。しかし、コース反対側に直進2km程のコースがあり、そこでは、1速で10、000回転まで上げ2,3速に入れ引っ張るとものすごい風圧を感じ200km以上を越す感じで、どのマシンより速さも実感した。ただ高速になるとフレームもよれてくるが、エンジンの回りは快調であるが、RSのじゃじゃ馬を感じ、ソロでは昔のライダーが乗り切れなかったのを痛切に感じた。
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BMW RS54 Rennsport(レンシュポルト) 1954年 |
型式:BMW RS54 タイプ:レーサー エンジン:空冷4サイクル・DOHC・水平対向2気筒 排気量:493.9cc 内径×行程:68mm×68mm 変速機:4速 最大出力:60hp/9,500rpm 最高速度:230km/h フレーム:鋼管ダブルクレードル 懸架方式:前・アールズ 後・テレスコピック ブレーキ:前・後輪 セントラルドラム式 |
過給機(スーパーチャージャー)付きのレーサーが禁止されたため、全面的にみなおされ、その中でも大きな改良はシャシーになされ、非常に近代的なものになった。DOHCエンジンはまったく新しいものを搭載し、マグネシューム合金がふんだん使われ車輌総重量は125kgにすぎなかった。フロントはアールズ懸架(一部テレスコピック)で後輪はダンパー付きテレスコピックであった。RSがレースに出走すると、当時、革新的メカニズムであったアールズ・フォークのブームが発生し、その後、R50やR60などの市販車へとフィードバックされるのであった。 この新型車設計に続いて、BMW社は技術革新ともいえる燃料噴射装置を考案した。 ショルシュ・マイヤーの後を継いだワルター・ツェラーらの活躍により、ドイツグランプリで優勝するなどRSに数々の栄光をもたらしたが、まだ安定性の問題が残っていた。それは縦置きクランクのトルク・リアクションやシャフト・ドライブ、アールズ・フォークの癖などの操縦性からくるものであったが、サイドカー・レースではそれこそ連戦連勝、54年のノルとクロン組の初勝利から74年まで19回年間タイトルの栄冠を獲得した。 市販RS54は僅か24台(うち4台はサイドカー)と言われている。 |
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来年もRSで出場予定をしている為、マシンをケン・マッキントッシュに預けることにした。来賓のサニー・ミラーとも10年前オランダのアッセンで行われたセンチナアルレース以来の再会でサニーからもRSの仕上がり具合を称賛され、又ニュージランドの人達にもBMWRS500の走りと音を響かせた事を喜んでもらいマシンの回りは何時も人が集まってバイク談義と質問が寄せられ話に花が咲いていた。
今年で3回連続出場だが、今年ほど嬉しい年はなく日本人は私一人出場で本人としても2008年レース初めは順調なスタートで幕を開けた。
その夜はぐっすりと寝て、翌朝ニュージランドのロトルア市で娘の待つ家へと向かった。
目の前の湖でトローリングやツーリングをしながらその後4日間の休息を取り、ニュージランド、オークランド空港より韓国インチョン空港経由して18日成田に着いた。
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