JSC第37回全国ミーティング
サイドカーフェスティバル参加レポ
2005年5月3日〜5日
金子(R100RS+SC)

全国のサイドーカーリストよ、白樺湖に進路をとれ
日本中のサイドカーリストが楽しみとしている“全国ミーティング”が、
5月のゴールデンウイーク3日間にわたり、長野県白樺湖「八子ケ峰ホテル」で開催されました。
JSC
埼玉第一支部の唯一公式行事となった感があるこのイベントにはいつものように、初日からの参加はR755+SC杉山さん・中里さん、R100+SC斉藤親子、R69+SC田中さん、R100R +SC山田さん、R100S+ SCの私こと金子親子、今回は4輪車で参加の柴田さん、オーナーズクラブからR100+SC鈴木さん、2日日からオーナーズの高橋会長、奥本さん、横浜の中島さん以上14名で参加しました。

私は、毎年この時期、長野県佐久市で開催される「佐久バルーンフェスティバル」をいつか見てみたいと思っていたところ、競技は午前6時〜9時が35日、夕方3時〜5時は34日と判明したので、4日、5日の見学は無理であり初日の朝のみしかチャンスは無いと考えた末、行きは皆さんと雁坂越えはせず、上信越道経由で現地合流としました。

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恐怖の高速トンネル内パンク
未明に自宅を出発し、所沢lCより関越道に入りました。いつもより交通量は多く、渋滞の心配をしましたが順調に横川まで進み、簡単な朝食後改めて佐久lCを目指しました。長い上り坂が続く中、乗用車を横目に快調に飛ばしていると八風山トンネルの途中でリアがフアフアと揺れ始めた。これはやばい。ひょっとして下を見ると不安的中のパンク。リムからビートが外れないことを祈りつつ減速しながら左側車線に移動し、ひたすら出口は未だかと焦る心はえらく長く感じた。出口の明かりが見えた。すぐ非常停止帯に寄せ、横を疾走していく車の脇で修理ングだ。

タイヤ回りをぐるっと見てもクギの用な物は刺さっていない。ジャッキアップしてホイールを外しチューブを取り出すと無残にもバルブ取り付け部分がえぐられたように切れている。思い起こせば
BMWマーク入りのバルブキャップを先日取り付けた際、手で外されないようスパナで1回転ほど増締めしたことが原因かもしれない。

エアーを少し入れてからチューブをタイヤにセットしようと自転車の携帯ポンプを押すが全然入らず、一か八かガスボンベで注入するが
3本目も使った。再度のパンクとなればスペアチューブは無いしエアーも入れられない不安を抱きつつも7時過ぎには終了。

感動の佐久バルーンフェスティバル
閼伽流山(あかるさん)トンネルを過ぎ、佐久平PA手前から右手に浅間山が白煙を上げ左手にはバルーンが幾つも上がり始めている。青空を背景にカラフルなバルーンが上空に上がって行く様をパツセンで来た息子も感動して見つめている。
佐久
lCから会場となっている千曲川スポーツ交流広場の北側に今井城(岩尾城の支城)跡の高台から飛び立つ姿を見終わってから会場へ。
今年の大会は佐久市が周辺の自治体と合併し
10万都市誕生記念大会と銘打ったイベントで、今年で13回目の大会となったそうだ。地元の方に聞いたところ初めの頃は小規模だったが年々規模が大きくなり、現在は佐久市をあげての大イベントに成長したとのこと。

競技は10mの布を目標地点へ十字に置き上空からマーカーを落としゴールとするなど何種類かの競技方法があるそうです。さて、熱気球は上がってしまうと風任せ。したがって、見が吹く昼の時同帯は競技に向かないらしい。また、パイロットは格好いいが、支えるサポーターは大変。飛んで行った先までスタッフが車で追いかけて行き、回収して次の協議飛行開始会場へ運ぶそうです。さて、会場では朝の競技飛行も終わり係留バルーンによる体験搭乗が始まっていました。特にドラエモンやタコハチはちびっ子に大人気。
さらに、
10時からバイクトライヤルも行われ、カーブしながらのウイリーやフロントロックしてテールを上げ、方向転換するナイフジャツクなどさすがプロライダーならではの腕前が披露されていました。

一路ミーティング会場へ
会場を11時頃後にして近くの岩尾城(本文後に記載の依田信繁の討ち死に場所)を見てから浅科の日帰り温泉「穂の香の湯」に浸かったのち、旧中山道沿いの町、望月へ。
この町の中心に幕末頃庄屋を勤めた重要文化財真山(さなやま)家があります。昼食はその斜向かいにこの付近で人気のレストラン「ラ・フェスタ」へ。ここのお勧めは石焼きカレー、カニクリームコロッケ、みそだれトンカツセットなどです。余談ですが、昨年
BMWフェスティバルの帰りに寄った十割蕎麦の「職人舘」はここから夢科方面へ67Kmの所にあります。

食事も終わり暑い日差しの中、
R142号線の“白樺高原入り口”を県道40号線へ左折。幾つかの集落を過ぎ、高度を上げたころは多少涼しくなりました。会場は白樺湖のイメージがあったため間違えて大門街道まで出てしまい∪ターン。別荘地の中を彷徨って裏から会場に到着しました。

会場では一年ぶりに再会出来た
JSC小見会長初め、多くの方と言葉を交わしたものの我らの仲間は未到着。
そこへドマーニの脇で椅子に座っている志村さんから声がかかる。なんでも日帰りでメンバーに会いに来たとのこと。
3時過ぎ帰るとのことで無線で杉山車を呼び出すともうすぐ到着との返事があったものの志村さんはしびれを切らして帰って行きました。
その間も次々と全国のサイドカーは到着。やがて我らのメンバーも勢揃いとなり、オーナーズの吉野さんとも再会を果たしました。

新旧サイドカーあれこれ
全体的な印象としては、参加者総数は昨年の車山より少なかったように感じました。サイドカーフェスティバルと銘打ってもトライクやサイドバイクなどが多く参加している状況は、違和感を感じてしまう私は古い人間なのでしょうか?

さて、サイドカーで目をひいたのは旧型では睦王、W1、旧BMW(R50R69SのグッドコンディションSCももちろん何台か参加されていますが、以前は参加されたこともある旧型のトラやアリエル、また、ボートはミナト、DJP、ミスターなどは見かけられなくなりました)。新型ではオランダのEZS、フランスのプロダックサイドなどを見ましたが、昨年参加のアウディSCのような強烈に特徴あるサイドカーは今回見られませんでした。

会場となった八子ヶ峰ホテルは正面にスキー場、裏に白樺湖を眼下にするロケーションに位置しています。宴会場では、昨年の会場の食事より美味しかったこともあって盛り上がり、なつかしい再会を果たした旧知の方々と杯を交わしました。また、息子もダヤンの作者である池田さんと会話が弾み楽しい一夜となりました。

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東信(佐久周辺)へのツーリング
昨年は、ビーナスラインへのマスツーリングが霧の中で行われた模様でしたが、今年はピーカンの天気。しかし我々のグループは私のプランに沿って県道40号〜旧中山道茂田井宿〜臼田の町〜長野牧場〜千曲ビューラインへの予定です。

蓼科牧場を右手に見て雨境峠から先は諏訪地方から佐久地方と変わります。この峠は戦国時代“和田峠”“大門峠”と同様、武田・上杉や徳川・北条などの戦いで侍が越えて行った場所です。

天文
10年(1541年)5月、武田信玄の父信虎は諏訪頼重と共に大門峠を越し海野氏を肘ち真田氏を追ったその帰路、頼重は雨境峠から芦田城を攻略。
その芦田城の城主とは依田信藩という真田昌幸にも勝るとも劣らない知勇と決斬、実行力を持ち、瞬く間に佐久地方を平定し戦国時代の大名となった知る人ぞ知る武将(マニアツクではありますが)が活躍した土地であり、この周辺はこれら多くの軍団が行き来していたと記述されています。

さて、峠を下って、国道
142号線手前を右折。旧中山道を進みます.中山道は東海道と違い大きな川の渡し場が無く、多少遠回りであっても確実に江戸や京の都、あるいは伊勢参りなどに使われました。幕末には天皇の妹「皇女和宮」が徳川家への降嫁する際、何十キロにも亙る行列を連ねて江戸へ向かったと言われた街道です。

その旧中山道は対向車が来るとスレ違い出来ないほど狭い急勾配の道路が続き、茂田井宿の古い土塀や蔵屋敷が続く町の中頃に「大澤酒造」があります。
かつては庄屋を務めた屋敷の門をくぐリ
SCを入れると主らしき年寄りが「ほ〜ベンベ(ビーエムと言わなかった)は高いのでしょうな!」と言いつつ「先ずはこちらを見てください」と紹介されたのが蔵を改造した掛け軸が並ぶギャラリー。

皇室への書道の先生の書が掛けてあるが小生はどうも肌が合わず退散し、次の併設施設「しなの山林美術館」を久しぶりに見学。同館は主の伯父さんにあたる方の絵を中心に所蔵。
続いて、母屋は本業の酒の試飲と販売所であるが、その
2階「民俗資料館」へ。中央に鎧(よろい)が置いてあるが、本来の持ち主からの入手経路を聞かされました。江戸時代にこの地の殿様が江戸へお勤めの際、遊行に路銀を使い果たし地元に金策を求めたそうで、藩は地元で財を成していたこの大澤家へ500両の工面を申し入れ借金の形に置いて行ったものがこの鎧です。

さらに場内を見渡すと人相書き(現代の手配書)に大塩平八郎の名が。今の世はモンタージュ写真ですが時代劇に出て来るような似顔絵でなく、身長○尺○寸、どこにどの位の大きさのホクロや切り傷の跡などありと記載されていました。

下の販売所で「善光寺」という
4段仕込みの酒を土産に購入。横で田中さんが試飲結果を「俺には3段も4段も同じに感じる」と訳の分からないことを若旦那に言っている。ここは小売店でなく丹精込めて造った醸造元に対し失礼では?それとも昨日の宴会の余韻で今もマヒしているから?

むかしの息吹が続く歴史と自然豊かな郷‘佐久”田中さんが
4段仕込みを買ったか買わずかは確認しないまま出発。
次の目的地「龍岡城」は
佐久市臼田地区から群馬側へ田口峠へ向かう途中にあります。江戸末期藩主で幕府老中・睦軍総裁の松平乗漠(のりかた)は函館五稜郭と同じ星形の洋式築城として日本に2つしかない城を築城中、大政奉還に伴い城造りは中止となりました。現在、堀と大手橋が残っていて桜咲く時期もきれいですが紅葉の時期は大変見応えがあります。乗漠は大給恒(おぎゅうゆずる)と改名し、明治になって日本赤十字社を起こした偉人です。

脇に併設されている休憩所はいつも地元の方達がボランティアで湯茶の接待などをしていただけるライダーにとって貴重な休憩施設です。

続いて次の目的地「長野牧場」へ向かいます。小海線東側の山の裾野の道を暫く北上すると佐久市近代美術館の周辺に牧場があります。記憶では明治の頃、軍馬を育てる目的で山林を開塾した牧場で、この道脇こは白樺が植えられ牧草地の先には浅間山が見える北海道にタイムスリップしたような風景がそこにあります。

美術館併設のレストランで昼食後、午後のルートは美味しいコーヒーショップ「読書の森」へ向かいます。千曲ビューラインとは地元の広域農道で、浅間山を右手に蓼科や∧ケ岳方面を左手に見ながら丘の上を走るビューポイント抜群の道です。

読書の森」へはビューライン途中に長野県農業大学校の看板の先、橋をくぐってその先の交差点を右折すると辺りは棚田などが点在した中にあります。地下水を使ったコーヒーでくつろぎ皆さん大満足。
時計は
3時にさしかかり4時半からの全国ミーティングに同に合うよう出発。望月町まで勝手知ったる裏道(この景色も見応えあります)を使い1時間あまりで到着。

駐車場ではしらびそ峠からやって来た高橋会長、奥本さん、中島さんと合流出来ました。ホテル内での土産コーナーでモーターサイクル模型で有名な新宿の「西南堂」が出張店舗オープンしている。割引価格設定もありR253SCPICCOROR6を衝動買いをしてしまった。家に帰ったら女房に見つからないうちに閉まっておこうと思う気持ちもあって「飾る場所も無いのにまた買ったの!」の声が後ろから聞こえた気がしたような……・

再び寝られない夜がやってきた
2日目の宴会では10数年ぶりに抽選に当たったことは珍しい出来事で、私が提供したR75SC入りのプラモは中島さんがゲット。特賞のレストア済みの自転車オートバイは当選者が2人続けて辞退するハプニング。

2次会に移り吉野さんご夫妻やメンバーと盛り上がっていると田中さんは神宮司さんと2人で日本酒勝負。あ〜まずい展開と撤収し会長の部屋で軽く飲み直して就寝。

すると
2時頃にドアをたたく音がし、前後不覚の幸ちゃんがそこに。彼が寝る前にサツサと寝ようとするものの彼の方がいち早く、布団に入るなり隣室まで聞こえるような大嚊が始まりました。同室の皆さんが起床するまで轟音続き意識朦朧となってしまいました。眠いよー。

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駐車場を見渡すと山口BMWクラブなど帰路1000kmコースの方達は早朝から出発されたらしく駐車台数は大幅に減少。高橋会長グループは杉山・中里租と一緒に別働隊として別れることに。我々は昨日のコースを戻る形で8時に出発。

すると私のリアタイヤの空気圧が下がっている。スタンドでエアーを入れ事なきを得ましたが、パンク修理道具をよく見ると、ガスボンベのガスはゴムを通すので速やかにエアーに入れ替えてくださいとの注意書きがあり、スタンドで入れ替え完了。                                                          
   自宅へは
3時間半で帰宅となりました. 

 教訓;皆さんもガスでのパンク修理は注意されるべし!by.KANEKO


ホテル前にて記念撮影(写真:JSC提供)

斉藤さん、息子さん二人もパッセンジャーで参加

田中さん(R69S改)

山田さん

BMW R75/5+ワトソニアンGPスポーツ
杉山さん・中里(パッセンジャー)さん

事務局・鈴木さん

古溝さんと友人(2台ともウラル)
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サイドカー講習会

傾斜させたアールズでホイールベースを長くしたEZS/SCKでのハブステアはコーナーリングも楽勝

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