JSC第36回全国ミーティング 長野県車山高原
2004年5月2日〜4日
金子
RlOORSやっとエンジン復調
昨年は、JSC第35回全国ミーティング参加のため車輌点検中スロットルワイヤーのほつれを発見。スペアーワイヤーとの交換は、ハンドルセットアップキツトと40Фキャブ取り付け位置の影響から寸足らずの為ワンオフで作成してもらい、バルブとバキューム調整し伊勢志摩に行ったものの帰りの東名で80Km以上出なくなりやっとの思いで掃宅し工場へ。シリンダーヘッドを外すとピストンの一部とリングが破損している。スペアーのパルプセットなどを交換して復調。しかしこの復調は見せかけであった。ONERS CLUBの星野温泉ツーリングでは関越道でマフラーから煙を吐き東松山でリタイヤ。牽引で掃り工場へ直行。トリガーなどを交換し復調。その後BMWフェスln長浜では順調に走行するものの佐久でオイルランプが一瞬点灯したのちコンプレツションが上がらずレツカーの世話になり又も工場へ。シリンダーブロックを外してみるとオイルポンプはガタが出るほど磨り減ってクラッチへのオイル回りは時間の問題となることが判明。そこで以前に入手していた100CSの腰上部分と工場在庫のエンジンを合体し交換。やっと完調となりました。トラブル毎に手助けしていただいた皆様に紙面を借りて感謝申し上げます。

車山目指し出発
 5月2日早朝5時過ぎ、集合場所の所沢ホンダブリモ工場前へ。杉山さんのR75/5の排気量は900ccにパワ一アップしこの日を迎えました。コンビはいつもの中里充っちゃん。暫くして私のパツセンを務める柴田さん、69S改の田中幸ちゃん、R80の山田さんは、仕事仲間のお二人との参加です。コースはいつものように渋滞を逃れるルートとして雁坂〜甲府〜原村方面から会場への設定です。途中、日高市で斉藤武ちゃん親子と合流。私は、それまでの走行中の寒さに我慢できなくなり重ね着をしての出発です。サイドカー5台ソロ2台のツーリングが始まりました。
 秩父市手前で芝桜のお祭りがこの連休中開催され、今の時間(7時30分過ぎ)はすでに会場への一般車は規制されている。秩父市内でかつての秩父往還、現在の国道140号線にて雁坂へ向かう。高度もグングンと稼ぎ荒川村から大滝村に入ると外気温7度の表示が。群馬のブルブルツーリングと同様になりました。ループ橋を過ぎ滝沢タムの人造湖を左に見ながら最初のトンネルを出たところが栃本関所があったところ。かつての旅人は甲州街道を越えられない訳有りの無宿人などが裏街道として雁坂峠越えを目指し最後の関所となっていたはずである。
 平成10年4月から、2輪車であれば560円を払うだけで6kmのトンネルによってあっと言う間に甲斐の国にたどり着けるのも有り難い話である。トンネルに入ってすぐ左側の壁面に赤の点滅灯が続く。以前は無かったはずでそれだけ事故が多い場所になったのかなと思った次第。トンネルを出て9時過ぎに山梨県三富村に入り“道の駅みとみ”で休憩。朝食抜きで来たためここで何か食べようとレストランに入ろうとしたら無情にもオープン時間前。塞くてひもじ〜い思いをかみしめてここを後にしダムサイトの道を下って行くとやがて牧丘町へ。

いざ甲斐国へ
 牧丘町は武田信玄の菩提寺「恵林寺」があるところ。夢想国師作の庭園と「風林火山」の武田軍旗があることで有名。道は笛吹川を横に見ながら山梨市へ入ると道路脇の電光掲示板は17度と表示。暑くなった訳だ。まもなく左手に「万力公園万葉の森」が.英語に直訳するとバイスパークとでも言うのかな?と一人で思いに更けつつ石和〜愛宕トンネル〜湯村温泉街を通過。中央道双葉PAの先をくぐって国道20号線へ。左には釜無川が流れている。この川はかつて大変な暴れ川であったものを武田信玄が竜王付近に巨大な岩で堀を造り「川を征する者は国も征す」の諺を実力で示したところで有名。更にこの先の韮崎ではこの川を挟んだ南側に願成寺があり鎌倉時代建立の武田氏の始祖、信義の墓があり、以前行ったときの記憶億によればさらにその近くに武田八幡神社があり、信玄無き後、武円勝頼の妻が戦勝祈願の祈祷文の原文が残されていたはず。戦国時代に興味のある方は、ここ山梨県は歴史名所となっている躑躅ヶ崎(つつじがさき)の武田神社だけではなく、あちらこちらの名所旧跡に興味が尽きないところ。あまり知る人はおりませんが、この先の20号線右手に釜無川と塩川に挟まれ八ヶ岳の火山泥流が押し出されて形成された七里岩台地の崖に囲まれた場所に新府城跡があります。天正3年武田勝頼は長篠の戦いで天下無敵の騎馬軍団が鉄砲によって壊滅的打撃を受け退却し、「人は石垣人は城」と言われた武田の館では鉄砲を駆使した近代戦は防御不可能との判斬から、真田昌幸に普請奉行を命じ半年がかりの突貫工事でほぼ完成をさせた城です。勝頼は武田館を取り壊させた折り、家臣らにも家屋敷に未練を残さぬよう全てを捨てて移転するよう命じたと言われています。一方、信長は北条氏政と家康に出馬を求め、現在の飯田市周辺の武田配下の城を次々と落として行く中、武田軍は高遠城を守る仁科盛信(勝頼の異母弟)の奮戦に望みを託すものの織田軍の総攻撃で全員戦死の一報を聞くや一旦新府城へ帰城し立て直しを図るものの兵は2千では勝ち目無く岩殿城(中央道大月トンネル手前右の大きな岩山頂上にある)へ退却を決め、新府城は戦う事なくわずか2カ月で自ら火を放つことを命じ一行は東へ逃走。笹子峠手前まで落ち廷ぴるものの味方の裏切りでこれ以上進むことを諦め景徳院でわずかな家臣共々切腹して清和源氏の武田家は波亡となりますが、それから80日後、攻めた信長も本能寺で命を落とします。
 ちなみに新府の府とは「甲府→当時は府中と言った」「府中」「大阪府」などのように府の意味として「まち」とか一定の「行政区」を表す言葉ではないかと思われます。従って、新府とは、新しく造ったまちの意味ではないでしょうか。
 かつて、新府城址に行ったおり急勾配の石の階段を登るとその先には鳥居があり、さらに進むと白樺林のかたわらにボツンと本丸跡の碑が建ち、草いきれの中で日本の国蝶オオムラサキが一匹ひらひらと舞っていて栄枯盛衰の感が当時の記憶として鮮明に残っています。

車山高原へ
 さて、時刻も正午となり一層空腹惑も高まりました。長野に入って最初の道の駅でやっと食事にありつけるかと思ったら満車のため、次の道の駅まで移動し遅い朝食。やっと腹も落ちつき出発。諏訪南インター入り口に向かって進み原村方面から大円街道を登ると白樺湖が見える。サイドカーも大分見られるようになったところで霧ケ峰方面ヘビーナスラインを進むと視界が開けた駐車場で小休止。私のエンジンも絶好調。但し以前の4パルプの吹けは無くちょっぴりつまらなくなった感は否めない。
 会場へは車山スキー場の三差路で本部役員の誘導に従って進むと宿泊地の「車山ハイランドホテル」前グランドに。参加車両の駐車場では、すでにサイドカー、トライク、ソロ100台以上(本部発表:3日間の参加者延べ人数1,000人)が到着していた。
サイドカーメーカーによるショーを見学しホテルで荷を解き入浴後ビールで乾杯。じつにうまーい!夕食を食堂でとったのちウェルカムパーティをグラウンドに移しキャンプフアイヤーを囲み小関さんの挨拶、小見会長・各スタッフ代表による乾杯で始まりました。いつものように抽選会が始まりましたがさすがに夜の車山の寒さは厳しくキャンプフアイヤーにあたっている人(しかし火に面している所だけ)以外はブルブルで私も充ちゃんに抽選券をお願いし退却。
 後程部屋で待つと車のサンシェ−ドが当たったよと持って来てくれた。もう何年も景品が当たっていなかったので気分良く就寝準備です。9時過ぎには∃一口ツパサイドカー連合の元会長ボブ氏が来日していて同氏を囲んだ懇親会が催された模様ですが、このとき私は既に漠唾モードに突入。飲み足りない幸ちゃんは一緒にもっと飲も−よ!の声を残して他の部屋に。

サイドカー運動会を開催
 翌3日はメインデー。一般参加者はビ−ナスラインヘ大ツーリング。この間、我々埼玉第一支部はJSC本部よリサイドカー運動会の運営スタッフとして依頼されていたことから競技種目として“パン食い競争”(ドライバ一、/てッセンジャーそれぞれが手を使わずパンをくわえ、ゴール直前に置かれたクラッカーをパッセンが持つフック付き丸棒で吊り上げ鳴らしてゴール)“お玉でボール運び競争”(長さ2m程の棒の先に前日宴会に使用した焼き物の受け皿となった丸い金属ネット状の駕籠を取り付けその上にゴムマリを乗せパッセンジャーがボールを落とさないよう走る競争)“一本橋走行コンテスド“ジムカーナ,の準備を午前中一杯かかって準備し、ツーリンググループの帰還を待つ。グラウンド等では初心者講習会が開催され数台のSCがコーナリングの練習をしている。準備が整ったので食事に行こうとするとツーリングから帰った人達で指定レストラン「ヨーデル」は満員で競技開始まで罠ってこれないことが判明。仕方なくホテル自販機のカップ麺を皆で寂しく食することとした。

 程なく全員集合がかかり写真撮影終了後、運動会開始。パン食い競争・お玉でボール運び競争は、ファミリー向けの内容で大いに盛り上がる。小さな子供が乗った原付きのSCは息もピックリのコンビ、大人顔負け(ドマーニと張り合う)のスピードテクニックで恐れ入りました。お玉でボール運び競争はコースをもっと長く、しかも路面が荒れているコースで行えばボールが落ち易くもっと面白みがでるのではと思った次第。一本橋走行はアプローチの路面が悪いこともあって脱輪車が続出。ドマーニでチャレンジされた方には脱帽です。数台は転倒するも速度が遅いため破損まで至らず胸を下ろしました。一事エキサイトしたのがジムカーナです。5個のパイロンをそれぞれ旋回しつつ最短の時同で走破するものでドリフトをかけたりカー側へ最小半径で回ろうとするとカーが浮き上がって立て直しに時同がかかりこれらは経験した人でないとうまく行かないと思います。特筆すべきは別冊モータサイクリストにも載ったドイツ人家族で参加のGSのSCに奥様がドライバーとして運転し4位入賞は参加者から大きな拍手が沸きました。時間的にも3時を過ぎ寒くなったので運動会は終了させていただきました。

今回参加者のサイドカーたち・・・(写真はまとめて末尾に掲載)
 カーにマウンテンバイクを搭載したもの、車椅子をボートにうまく乗せている方、KlOOトライクで車幅を狭くセッティングされたマシン、山田さん真っ青の睦王SCも元気に走り廻っておりました。ワトソニアンGP700に乗ってやってきたワンちゃん、車酔いはしなかったのかな?、KlOORTのハンドシャフトは何を意味するのでしょうか?興味は尽きません.そして何と言っても圧巻はアウデイ2,500デーゼルターボエンジンを乗せた赤いSCです。1,2,3速D・N・R,Pとの表示からオートマであることが読み取れます。限りなく自動車と同じ様な感じでした。一通り見学を終え、我々は空腹を溝たすため閑散とした指定レストラン「ヨーデル」でまたも遅い食事をとっている間、本部では全国ミーティングが開催された模様です。ホテルに戻り入浴後すぐに夕食となりました。少し前に食事をしたためビ−ルはあまり進まずこの日もすぐ寝入ってしまいました。従って、パーティには欠席し元気印の幸ちゃんが参加した模様です。抽選会では仲間が当選し自分は外れたと景品を抱えて戻って来てぽやく声で起こされますが睡魔には勝てず目をつぷっていると、充ちゃんどこに行ったのと騒いでいます。雨降りの丁さんのところで飲んで居たとか居ないとか、景品が当たらなかったとか・・・と聞こえながらz z z z z z z

やっぱり雨男はいた
 最後の4日の日は朝から雨。この雨は鬱陶しいな−と思いつつ昨晩飲み過ぎず寝られたものの何度も夜の騒ぎで多少寝不足気味。6時前というのにもう出発して行くグループがいた。きっと島根や四国の会員ではないかと思った次第。我々は山田・田中組は高速。杉山・金子組は一般道と2手に分かれて掃ることに。途中までは一緒に走ったものの白樺湖を過ぎて高度が下がるにつれ雨は止んだり晴れ間が出たりとそれに併せ全天候を開けたり閉めたり忙しい。帰りは20号を通らず七里岩ラインから140号線へ進み、行きに食べ損ねた道の駅「みとみ」で昼食を取ることに。売店では山菜を購入。充ちゃんによると「今年は気候が良くなかったため山菜の出来が悪く俺の家でもだめなので買って行く」との意見を聞き、多少高くても“うど”“タラの芽”(1パック400円)などを購入。
2つ目のトンネルを出ると陽がのぞいて急に暑くなった。ループ橋途中のパーキングで休憩を兼ね着替えてスツキリとした気持ちになった。写真を撮ってから降りて行くと秩父に。例の祭りの影響で市内は渋滞。その先高麗手前から渋滞。充ちゃんの地元案内による裏道を進み463号線に出て自宅へは明るいうちに、しかも久しぶりに参加者全員ノントラブルでの掃宅。450Kmのツーリングも無事終了.お疲れさまでした.

  追伸:別れてから天気は回復。やっぱり雨男は幸ちゃんでした.
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