JSC第35回全国ミーティング 伊勢志摩
2003年5月3日〜5日
金子

幸ちゃんまたも改造車(怪造車)で参上
全国のサイドカー“おたく”が一同に会する日本サイドカー連盟(JSC)主催“伊勢志鹿サイドカーフェスティバル/第35回JSC全国ミーティング’が去る5月3から5日にわたって開催されました。本年は、日本サイドカー連盟創立35周年の記念大会となっており、その盛り上がりを期待して出発です。

ゴールデンウイークいつものことではありますが、各高速道路の混雑ぷりは皆さんご承知のとおり。したがって我々側車ツーリングは定番となっている真夜中(午前3時)の集合です。このため埼玉県南グループは和光市税務大学校前に午前2時の集合で、前日はほとんど寝ずの1時起床となりました。

川越街道を進むと新座で前方に見慣れたRlOOS−Side Carを発見、斉藤武ちゃんでした。時間も余裕があったので後ろについて行くことに。関越道とほぼ平行に走って行くと都内に入り柴田さん宅へ。再度一人で来る時は迷路から出られそうにない場所でした。武ちゃんは、プロドライバーとして業務中“おかま”をほられ首を痛めたとのことで代わって柴田さんが運転し集合場所へ。そこではJSCミーティングに久しぶりの参加となった高橋さんご夫妻がR80、いつもの常連杉山・中里租のR75/5、そして私、キャプオーバーホールとバキュームゲージによる調整、バッテリー、トリガー、イリジウムプラグなどへ交換(始動性、アイドリング、4,000回転までは快調)をしたもののパワー不足が解消しないまま原因不明で見切り発車となった私めのRlOORSの4台です。

さすがにこの時間、環状8号線はスイスイと流れています。東京料金所から海老名SAまでは、あっと言う間に到着。ここで首都高からの合流組鈴木さんのRlOOS、山田さん親子のR80、田中・神田組のR69S改(前回はワレソニアンにボート改造、今回はエンジンR75/6?に1000ccのミッション→R69S怪と呼ぽうではないか!)と同行希望された初参加の斉藤さん(GL1500)含め、総勢8台のSC、参加者計13名で伊勢を目指すこととなりました。

今年のゴールデンウイークの週間天気予報によれば前半は雨、後半は晴れとの予想に気を良くしていたものの、御殿場〜裾野あたりは霧雨模様。革ジャンを着ていても寒さが深々と伝わって来ます。鉄板の舟であればパッセンはひざ掛けくらいは必要であろうと感じた次第。エンジンの調子も上り坂110Km/毎時で順調に飛ばす。富士川SAで小休止。小腹が空いたので「うどん」をほうり込む。空も白み始めたところで皆さんのSide Carを観察。R69S怪はへインリッヒタンクにSUZUKlのツーリーディングブレーキ、リヤブレーキはリヤホイールとカー側連動油圧ブレーキ(ペダルにもう一本別のアーム付きのペダルを連動させ、カー側ペダルだけ踏み込んでボート側への急制動が可能)改造。山田さんはモノサスから2本サスへ変更。この本車側のダンバーがものすごくごっついモノ。聞けば4輪車のものとか。さすがに陸王に長年乗って来ただけあって改造はお手の物のようである。いつの間にか雲も去り明るくなった所で出発前に皆が給油した時のこと、一緒に給油しようと言ったにもかかわらずピックタンクのR69S怪だけが拒否(後程ガソリンスタンドを探す羽目に)しての出発。一同、浜松lCまでは睡魔との戦いの様子でした。

渥美半島から伊良湖岬へ
 東名高速を降り、浜松市内手前からR1バイパスへ。浜風の香りが感じられるとそこは海岸線近くになった証拠。中田島交差点の標識が見えました。ここは、この連休中に催す凧揚げ大会が有名で、一般観光客の自家用車は遠くの駐車場で乗り捨ててからシャトルパスを使い中田島砂丘へ向かうようです。

そこから浜名バイパスの有料料金をけちって弁天島脇を通り、渥美半島へ。この半島は太平洋側を遠州灘といい、荒波に洗われる表浜(遠州灘)と裏側の沈静かな三河湾と2つの表情を持っています。今回のルートは表浜側の42号線を走ります。アップタウンこそ多いものの道路にほぼ平行して豊川用水が流れているため農地と林が連続して続きます。また、ロードサイドは全国的なサーフスポットとして有名なためサーフショップとペンションが転々と続きます。赤羽町あたりから前を走るR69S怪はガス欠を心配し始めスタンドに入りたいと無線交信が度々入るものの休業店舗が続きやっと見つかったところで絵油が終わると前方グループとは大差がついてしまいました。追いつくためにピッチを上げます。右の丘頂上に伊良湖ビューホテルが見えて来ました。このホテルは以前私がGLlOOOSCで強い向かい見の中たどり着いて泊まった晩、窓から見えた夜景の素晴らしかったこと(全量オーシヤンピュー)が思い出されました。

ここまでくるともう少しで伊勢湾フェリー伊良湖乗り場に到着です。先行組から「今着いている9時45分のフェリーに乗るんだから、早く切符を買って来て」との声に慌ててターミナルへ。R69S怪さんが皆と一緒にガス補給しておけば慌てなくても良かったのにと思った次第。私は往復割引を求め早速購入。中には片道購入された方もいたようでした。しかし、乗船して切符を良く見てみると“帰りの切符は行きの切符を提示することで割り引き対応’と分かり一同一安心。伊良湖〜鳥羽まで所要時同55分。この間に睡眠を取っておこう。ちなみに名古屋経由で東名阪自動車道を使っても東京からほぼ同じくらいの6時間程度の所要時間だそうである。

風光明媚な伊勢路を走る
鳥羽港lこ到着。SCを先頭に下船です。今回は2泊3日の余裕から本日のコースは伊勢志摩スカイライン夫婦岩伊勢神宮です。スカイラインは鳥羽から朝熊山を越え伊勢神宮内宮までの全長13Kmのツーリングコース。緑の山々を縫いながら伊勢湾を眼下に望む有料道路であります。

山頂の展望台に到着し小休止。追っかけてトライクがやって来ました。えらい車幅のある車で、ドライバー曰く「トンネルの中でパスとすれ違いざま相手が気を利かして避けてもらったとたん、そのパスはトンネルの天井とスッてました」とのこと。逆向こう側に命知らずのパッセンが乗るサイドカーを考えれば狭い場所はカー側がいつも接触の危険がある乗り物と言える。大事な人は乗せられまい。

下って伊勢神宮へ。伊勢神宮は2つあるのを知っていますか?内宮(一般的にはここを伊勢神宮といいますが)と下宮が少し離れたところにあり、お宮参りの手順としては下宮から内宮と参拝するのが正道とのこと。以前来た時は内宮だけを参拝したことを思い出し、今回は外宮に向かいます。神社の中では御神体方向に写真は撮ってべからずとあり、写すことは出来ません。ちょうど家族一家でお払いをされているところに遭遇しました。20代前半のコンビニでアルバイトしているような兄ちゃん風の神官が拍手を打ち、家族の方はそれを見習って柏手を打ちました。

一通り見させて頂いた後、神宮前のレントランで昼食。伊勢うどんセットなど皆さんそれぞれ特色メニューを食しました。ここで“伊勢うどん’についてのうんちく。伊勢うどんは昭和40年代からの呼び名で以前は「並ちゃん」と呼ばれていたことを知っている人はまずいないでしょう。かく言う私もガイドブックを見るまでは知りませんでした。このうどんの特徴は1時間以上かけてのゆで時間であの濃い色のタレが染み込みうまく感じるとの事です。腹ごしらえも終わって夫婦岩へ向かい、手前にある“かえる’にあやかって安全に帰る祈願をし、暑い日差しの中、今日の宿泊施設「神宮会館」へ。
 神宮会館は内宮前こ位置し、皇居警察サイドカー部隊の定宿所だそうで利便世の良いところにあります。本日の走行距離は430Km。2時前こは到着し、受付を済ますものの3時までには入室は出来ずじまい。裏手駐車場に進むとSC(最終的には、約180台)参加者が続々と・・・。
 
いつもの修理ングが始まる
 我々が駐車したと同時にR69S怪の修理ングが始まりました。フロントブレーキパネルからアルミの切り子が出ていました。ジャッキと工具を持参しておらず幸ちゃんはひんしゅくをかってしまいました。修理パーツは当然ありませルでしたが、そこはそれ、皆の協力で何とかなるものです。杉山車からアクスルシャフトのカラー、山口さんのジャッキと工具、私が持って来たグリースなどで修理完了。(ギャラリーから「ダブルパネルの見た目の良さでなくディスクブレーキにしなさい」との声掛かる)その後、宿泊部屋の入室時間まで、強い日差しの中で暇つぷし。早くビ−ルが飲みたいコールが・・・.3時に入室のOKがやっと出て3部屋に分かれそれぞれの部屋でカンビールを空ける音が・・・。一息ついた後、内宮を参拝、風呂への直行、うたた寝等とそれぞれのライフスタイルで時間を過ごし夕食に向かう。

ロビーでは初参加者の懇談会が開催された模様です。本館ラウンジで我々は早々に陣取ってオープンを待つものの小見会長の挨拶も無しに始まってしまい拍子抜けです。テーブルに並んだビ一ルはあっと言う間に無くなって(一人一本以下)しまい、この後は自己負担となるのかと噂ぱなしをしているうちにやっと追加ビールが来て胸を降ろします。いつものように幸ちゃんは早々と参加費以上のアルコールをお腹に流し込んだ模様です。憐のテーブルに風見さんのご家族が、聞けば10代のお嬢さんも400ccのサイドカーを運転して家族3台の参加で来たそうな。凄いとか言いようがありません。お嬢さんに敬意を表します。

さて、宴会もアイスが出て来てもう終わりのサイン。7時30分からの「ウェルカムパーティ」が、元ジャガーズのメンバーによるオールデーズナンバーを聞きながらカクテルー「サイドカー」の乾杯で始まりました。ここでも飲んで踊ってハッスルしたのはやっぱり幸ちゃんです。抽選会が始まりました。今回は我々参加者へも多少御利益があるように第一支部からサイドカーの木製の置物を寄付したものの、結局私は当たらずじまい。今回も運から見放されてしまいました。パーティ終了後、明日に備えて早々に寝所へ潜り込み消灯。と間もなくドアを開ける気配。幸ちゃんが飲み足りないらしい。相棒を捜しながら徘徊。みんな死んだ振り。「な−んだみんな寝てしまったのか」の声に一同しめしめ。


カーブにいきなりパックが
 空けて4日。幸ちゃんは他のグループと飲んだ後、その人達に引き連れられて部屋に戻ったそうで、本人は全く記憶喪失状態.(今夜も要注意)

早めの朝食を済ませ8時30分に駐車場へ。本日の予定は伊勢志摩一周ツーリングである。連盟主催のマスツーリング(ミス伊勢志摩を同乗らしい)とは逆方向へ行くこととしました。会館前の通路は渋滞の列。なかなか会館から出発が出来ません。我々のコースは反時計回りで、サニーロードにて五ケ所湾へ向かいます。名前から察する感じはシーサイドを光り輝く有料道路の様な感じを受けますが、地域間を結ぶ狭い道で(サイドカーのドライビングテクニックの見せ所!)村落の中は3m足らずの道幅で、町を過ぎると広くなり山道になるとまた狭くなる。言ってみれば金のかからないところだけ拡幅整備している道路です。ブラインドコーナーの曲がりっぱなにサイドパックが落ちている。あれ−?と思った時、無線から「高橋さんバック落としていない?」との声。落とした時パックが開かなかったのが幸いでした。
私の前のR69S怪の幸ちゃんは右コーナーでカー側のみのブレーキングテクでゴムの擦れる匂いを残しながら進んで行きます。二日酔いでも大したものです。トンネルを遇ぎて五ケ所湾へ。

絵かきの町・大王へ
 海岸線から国道260号線は日本の道路100選に選ばれた道路で、「夢街道」と名付けられたシーサイドウェイ。口一ドサイドにはヤシの木が南国ムードを漂わせています。真珠養殖の筏を見ながら東へ進み、英虞湾が右手に見えるとその先が大王岬です。港市場の駐車場に停め、ここから歩いて灯台を目指します。大王町のキャッチフレーズは「絵かきのまち」。道端にはアマチュアの画家がキャンバスを広げ港町を描いていました。灯台へ続く狭い登り坂に接して真珠、貝殻細工、海産物などの土産物屋が軒を連ね、イカなどを焼く匂いに吊られれ食した人もいてイメージは江の島のような感じです。

大王埼灯台は日本の灯台50選に選ばれるほどの有名な灯台で、江戸時代から海難の多さでは有名な場所です.昭和2年点灯開始され、戦時中は機銃掃射などの被害を受けましたが修復し、現在も遠くの海上を16、5海里の遠くまで照らし海上の安全を守り続けています。螺旋楷段を登って回廊に出るといかにこの場所が灯台の適所であるかが分かるロケーションです。戻る途中、港ではヨットが3隻帆を休めていました。セールを取り付けるボールにフクロウの飾りが乗ってオーナーのセンスの良さに感心しながら進むと蒲鉾屋さんがありました。店の中に張ってあるポスターには、この田中蒲鉾店のトラックに香山美子の姿が。25、6年前のロケした時のものとか。何種類かの蒲鉾を土産に買うこととしましたがここで一計を考じ、明日買う予定の土産は地元で有名な“赤福”や“ういろう”の日保ちを考え、一緒に発泡スチロールが欲しいと言うと、隣の魚屋さんに交渉してもらい氷の塊を包んで入れて戴くことに。大王を出て時間が許せば4角型の美しい安乗(あのり)埼灯台まで行きたいところではありますが、帰りの時間などを考えまたの機会に譲ることにし、昼食にします。鰻も美味しそうだったのですが、私は郷土料理の“てこね寿司”をお願いしました。これは出漁中の漁師が船上で獲ったばかりのカツオなどを手でちぎって醤油や塩をつけ寿司飯に入れ、手でこねた即席の磯料理だそうです。

今回一番の見どころパールロード
 阿児町から今年4月に無料(一部を除き)となったパールロードを走ります。途中、志摩スペイン村を過ぎ的矢湾こ架かる橋を渡り、幾つかのアップダウンを繰り返すと今回一番のビューポイント鳥羽展望台に到着です。眼下にはリアス式海岸が美しく見えます.もっと良く見たい方はここがターミナルとなっている空からのヘリコプター観光が可能です。あの足元が見えつつフアッと空に舞う状況を想像するとゾクッとするのは私だけでしょうか?高所恐怖症の方にはお勧めで来ませんが…ヘリは約10分程度で舞い戻って来ました。きっと乗車賃も高い乗り物なんでしょうね。
 一休みしたのち鳥羽から昨日の見学ルート、夫婦岩を巡って神宮会館へ。本日は約100Kmの走行となりました。夕刻、全国ミーティングが開催され、今年の各地支部主催のイベント紹介などがされました。終わって急ぎ、見呂から出て夕食、昨晩に続いてのパーティです。今夜またしても抽選が外れ、2次回の会場となった高橋さんの部屋に。昼間、買った裂き蒲鉾で飲むものの2日連続の飲み会ともなると睡魔が襲い早々に撤収。今晩はさすがに幸ちゃんも疲れが出たのか、私たちの部屋へ来なかったのでほっとしながら朝を迎えることができました。

エンジン不調となるものの何とか帰途へ
 最終日も良く晴れました。食事後早々に駐車場へ。見れば朝食も取らずに帰った方も多かったようで、だいぷ駐車場も閑散としています。会館前で会長に見送られて出発。鳥羽フェリーターミナルへ到着すると後続のSCはトレーラーを牽引していたため5m以上の料金だった模様。船内で気持ち良くうたた寝しているうちに伊良湖に到着.ロードサイドにはメロン直売店の看板が続きます。柴田さんは大蔵省の奥様こ何箱?か購入していました。浜名バイパスも終わり、右手に凧揚げ大会の様子が….凄い数のの凧が同じ方向(当然ですが)幾筋も揚っていました。通り過ぎるお兄ちゃん、お姉ちゃんは半纏を羽織って気っ風の良さが感じられましたが、茶髪にマニュキュア、ピアスと、祭りの風情には違和感を覚える私は“おじん”どころか化石かも?市内に入って山田さんのご子息とはここでお別れ.浜松lCから東名高速に乗りました。払のRSときたらバイパスで100Km出すのがやっとのパワー不足の体たらく.しんがりを務めていたため、皆さんの加速時は置いてきぽりとなる姶末。高速に入って日本坂トンネルの登りでは90Kmがやっとなので、昼食時は早々に切り上げて先行出発し、解散場所の海老名まで急ぎます。いくら何でも追い抜かれることは無いと思っていたら御殿場過ぎで抜かれてしまいました。しかしツキは残されていました.全員が渋滞にはまったので一同が中低速で海老名SAへ。ここでで解散し埼玉グループと一緒に環八経由で明るいうちに帰宅が叶って3日向960kmのツーリングが終わりました。

 

追伸、その晩から1週間続いて出てきた晩酌のつまみは蒲鉾・・(刺し身もたまには出してくれー)
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