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 BMW Motorcycle Owners Club 
会長からの一言
プロフィール

BMWとの出会いは1960年(昭和35年)に長野県北軽井沢で開催された浅間火山レースにBMW69で出場した。伊藤史郎選手を見てからフラットツインのエンジンの虜になってしまった。
BMWを買う資金も無く仕方なく浅間火山レースに出場ししていた、1935年製のトライアンフを購入。しばらくは楽しんでいたが、BMWがどうしても欲しくなり新車のBMWを買う資金も無く、中古車を探すが当時は輸入制限が有り輸入台数が少ない。
 中古車のR69を買うのには英車(トライアンフなど)の3倍の価格になる。高い!なんとか中古車のR69を購入した時は一日中車を眺めていた。あれから40年飽きずに走っている。BMWは長距離にむいている様な気がする。
 会員と共に長距離を走る事を楽しみにしています。

下記は1978年(昭和53年)に「月間ライダースクラブ」から発行された「モーターサイクル賛歌」(当時1,800円で販売)の1ページです。高橋会長の若き姿です!。 BMW R-26
(文中のまま)
この単気筒メカニズムの中に、まぎれもない!“バイエルンの黒い疾風”の原点を見出せる。


BMW狂を自認するオーナーのワークショップを兼ねたガレージは、まさにBMWの魅力と味に満ちあふれている感がする。目下レストアの最中だという、浅間時代、伊藤史朗のライディングで一世を風靡したR69のレーサーや、ワトソニアンの側車を抱えたR69Sに囲まれて、今回の主役、R26は他のフラット・ツインBMWとは趣を異にしてはいるが、静かに低く佇んでいるその姿はまぎれもないBMWだ。
側車付きのR69Sに借与えられていたR26のメーターが、いま、撮影の小さな時のために、オーナーの手によってオリジナル通りに付け換えられて行く。

数台の魅力的な漆黒の恋人と、彼女達をやさしく愛撫するために使いこまれた多くの工具の中で、オーナーは小さく笑みながら、「ふだんはあまり乗らないので埃がひどいでしょう」。といいながらも、ガソリンを染みこませたウェスで一見無造作だが、手馴れた無駄のない動作で、磨いて行く。

「モーターサイクルというのは動いて走って、それでこそモーターサイクルといえるのではないでしょうか、床の間の置物ではあるまいし綺薦に磨いて飾っておくだけなんていうのは、僕の趣味ではない」。そういいながらコックをひねると、あとは250cc単気筒エンジンがオーナーの催促するままに、素直なファーストアイドルを始めるための短かいがいつもの儀式を待つ。

 シングル・シリンダーの爆発による小さな震動が5つのラバー塊によって独特のリズムを奏でる。それこそは、他のいかなるシングルにはない、しかもボクサーのそれとも明らかに異なる震動である。

「まだ1日に1000km位は走れるよ」そして、「モーターサイクルは走らせてやらないと、どんどんだめになるから」ともいい残すと、R26独特のスターティング・ウォブルに身を任せながらクラッチを慎重にミートする。脊髄にまでフレームが貫通しているかのように寄妙な錯覚を憶えるライディング・フォームで軽快にコーナーをリーンウイズで抜けて行くオーナーの後姿を見ていると、“バイエルンの黒い疾風”と呼ぶには、あまりにものどかで、爽かな風が吹き抜けるような感じがした。

「英国車の単気筒や、イタリアンのそれにも魅かれる。そしてパリラやコルサも乗ってみたい」と、もらすオーナーだが、安定した性能や整備性の良いBMWがやはり最もお気に入りのモーターサイクルのようだ。
                                          〈オーナー:高橋光三氏)
古い写真が出てきたBMW R26である。家に嫁に来たのは35年も前の時代です。走っている場所は筑波サーキツト。ヘルメツトは当時人気があった英国製クロムエル、ゴーグルはホスパイク2点共人気商品で品薄だった。