4月29日
高速道路は、震災の自粛のせいかさしたる渋滞も無く、上信越自動車道「上田菅平インター」で降り、菅平〜須坂へと進んだところ無線で柴田さんのサイドカーはハンドルが振られて途中で修理したいと一報が入る。
広い駐車場に緊急避難し、いつもの修理ング開始です。
菅原さんが「ジャッキと大きめのBOXすぐ出せる人は」との掛け声に皆が集まりワイワイガヤガヤ。
ステアリングを締め込み、試運転して無事終了。
暖かい日差しを受けながら信州中野から飯山に。
斑尾高原への分岐点を過ぎたあたりでジェットコースターのような急坂を登り、幾つかのコーナーを曲がりスキー場の雪渓が見えたところが会場のサンパティック斑尾でした。
会場はサイドカーとトライクで埋めつくされた。 |
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第二次世界大戦で活躍した、ツンダップも元気に走ってました。 |
ホテル前のサイドカー&トライクショーではビーマー、ブリストルドッツグ、クラブスリー,サクマエンジニアリングなど12社が出店し、中でもビーマーは仙台から復興支援として来場し、LED電球や輸入Tシャツなど割引価格で販売し、その売上金は被災者支援に回されるとのこと。
ホテル受付前には全国から集まったサイドカーリストの支援物資が積まれ、私もささやかながら梅雨が近かったため女性と子供用の長靴数足を役立ててもらうため持参しました。
ロビーではチャリティーコーナーが行われ、外国のサイドカークラブから送られたレアなチャリティーグッズが並べられ、さっそく色々なものを購入。中でもフェデレーションサイドカークラブのプレートが3枚あり、私は即購入。その後、同室の杉山さん中里さんに見せると2人ともこれでしょうと見せて結局3人で買い占めていたのにはビックリ。
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5時の夕食前に黙祷をささげ、会食中にビーマーの唐沢さんから罹災状況の報告と支援要請がされ、一同悲惨な現状を実感したところとなりました。 |
今回は支援物資が、段ボール20箱分や義捐金が集まったことなどが報告された。 |
4月30日
翌日、記念撮影後、大会スケジュールの野尻湖ツーとは分かれ、R1200ソロで参加の中島さんは高橋さんのパッセンとして、杉山・中里、斉藤、鈴木、山田、吉野、田中、金子親子の9台で今年4月オープンした長野県・飯山市内の高橋まゆみ人形館へ向かいました。
人形のイメージから女性好みの内容かと思いきや、高橋まゆみさん(飯山在住だそうです)作成の人形の表情は素晴らしく一同納得。
また、サイドカーを駐車した場所は飯山の城跡にあり、枝垂桜が素晴らしい姿に一同見とれてしまいました。
飯山城跡駐車場にて |
次に向かったのは人形館推薦の“湯滝温泉”。国道117号線を新潟方面に向かい道の駅「花の駅・千曲川」(この先の千曲川を渡ったその先は映画「阿弥陀堂だより」ロケ地だそうです。)を過ぎ、湯滝橋で千曲川を渡ったところが温泉です。
少々、熱めの露天風呂が気持ち良い。
千曲川を見ながら昼食をとっていると雨がパラパラ。急いでホテルに向かうことにしました。
帰路の山道では後ろに付いてきているはずの各車は見えない。
やっと、R65デフの本領発揮。
雨の中、ワインディンぐロードを攻めてホテルへ急ぐ! |
会場に到着しシートを掛けロープで固定し部屋で休んでいると、ゴーという嵐のような風切音が聞こえ、「アウディのサイドカーの方,停めてある近くの松の木が倒れ掛かっています。至急安全な場所に移動してください。」との緊急放送。
駐車場はもの凄い強風が吹き荒れ、シートの多くが吹き飛ばされた。
夕食は、前日同様、黙祷に続き抽選会や生バンド演奏を聴きながら、揚げたての天麩羅(地元ならではのリンゴや蕗の薹など)で酒が進みました。
5月1日
翌朝、遠くからの参加者は、渋滞を避けるために朝食前に帰った様で駐車台数も大分少なくなっていた。
我々も、JSC事務局に見送られながら帰途についた。
走行中、抽選会の景品や土産を無理やり押し込んだ結果トランクが開くアクシデントがあったものの豊田飯山インターから3時間弱で一気に帰宅。
サイドカー、高速移動は最高に楽ちん!渋滞に遭遇すれば最悪!
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