6月28日(シュバルツバルツ→インターラーケン)
9時頃、ホテルを出発。
走り出して、すぐに大阪のMさん、S嬢、RTのOさんがはぐれてしまった。その後、S嬢とMさんは奇跡的に合流できたが、Oさんとは連絡がつかず、そのまま我々は走り出すことになった。
途中、アウトバーンのSAでランチをし、午後2時頃、スイス国境に到着。
正面が入国管理事務所だ。 |
入管では先頭の添乗員Kさんが説明してくれたのか、パスポートも見せることなく、全員スルーパスで国境を通過。
いよいよ、「スイス」だと心躍るが、走っていても、どこが「スイス?」という感じであった。途中、スタンドで高速券(通行券)を買ったが、スイスでは料金所は無いが高速道路は有料で、通行券を買わなくてはいけないのだ。
手に持っているのが購入したスイス用、
両サイドの紫色のがオーストリア用 |
スイスの高速道路を利用する際にはヴィニエットVignetteという、1年の有効期間内なら何回も高速道路を利用できる通行券(ステッカー)が必要だ(40スイスフラン=3,300円)。違反すると高額の罰金となるらしい。
私も購入したが既に同じものが貼ってあり(左写真中央)、その上に貼ったが、買わなくても良かったかも・・・。
お隣のオーストリアでも同じように通行券を買わなくてはいけないのだが、期間によって、1年間、2ヶ月間、10日間の3種類がある。
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1時間くらい走ったであろうか!突然、左側に湖が現れ向こう岸には雪渓を抱いた山が見え、「絵はがき」でみたあの風景が目に飛び込んできた。
走るにつれ、正面の雪渓を抱いた山並がどんどん近づいてきた。
ここで、添乗員Kさんより、「今日は天気も良いので、ルートを変えアルプス超えのワインディングにしよう、それも頂上の駐車場までフリー走行で走ることにしましょう」となった。
それぞれが走り出し、私も、左手にカメラをかまえグングン上昇。
途中、景色の良い駐車場にバイクを停め記念撮影しながら標高を上げると周りの風景も荒涼としてきて道路脇には雪の固まりも現れた。
そこはアルプスで有名な峠道のスーステン峠(2224m)で走り屋も沢山いた。
念願のアルプス越えは4,000m級の山々や氷河の溶けた水が、滝となって流れ込んでいる風景などは日本では味わえない雄大さで、つくづく、来て良かったと思った。
正面の谷は氷河だ、 |
スーステンパス(パス=峠)にて |
沢山のライダーが走っていた。 |
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時間も5時頃となり、下りは、氷河を見物しながら一気に本日の宿泊地「インターラーケン」を目指して走り、6時頃に到着。
この町はアルプス見学の拠点で世界中からの観光客が沢山いた。当然、日本人も多い。
我々の泊まったホテル |
町の中を流れるアーレ川、氷河から流れる水のせいか、緑色をしている。 |
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夕食はホテル近くの中華料理店で、
プロースト!!
夕食後、街を散策していると、そこへ、RTと突然行き違った。迷子になっていたOさんだ。添乗員Kさんの道案内でホテルに向かっている。無事で良かった。
インターラーケンの繁華街、店内に電気がついていても殆どが営業終了していた。 |
6月29日(インターラーケン滞在)
今日は、終日フリータイムだ。
我々は、本日はバイクに乗ることを止め、添乗員Kさんに車で駅まで送ってもらい、登山列車でスイス初の世界自然遺産に登録された「ユングフラウヨッホ」を観光することにした。
駅がある「グリンデルワルト」は観光客であふれていて、中には本格的な登山スタイルの人も多く見かけた。ここも日本人が多い。
行程は登山列車で頂上「ユングフラウヨッホ」まで行き、帰りは途中駅で下車しハイキングすることにした。
その往復運賃は141スイスフラン=約12,000円(結構高い!)
列車内はスイスきっての人気スポットだけに乗客でいっぱいだ。標高を上げるにつれ、左手にアイガー北壁が現れ、右手には牧歌的なスイスらしい風景が広がっていた。
途中、「クライネ・シャイデック」で別の登山列車に乗り換え、いよいよ、「ユングラフヨッホ」の展望台を目指すわけだが、その殆どはトンネルで、真っ暗の中をグングン登っていく。
アイガー(3,970m)とメンヒ(4,107m)の岩盤の中を登って行くのだ。スゴイ!! |
トンネルの中の2ケ所の駅で、気圧調整も兼ねて5分程停車した。それもそのはずで、展望台のある終着駅「ユングラフヨッホ」は標高3454mもあるので高山病対策も必要なのだ。さらに驚くのは、このアルプスの岩盤に穴をあけられたトンネルは、何と100年も前に作られたそうだ。
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3,160mの「アイスメーア駅」の窓から外を覗くと一面、銀世界。 |
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1時間程で鉄道駅としてはヨーロッパ最高地点「トップ・オブ・ヨーロッパ」の駅「ユングラフヨッホ」に着いた。
さらにエレベータに乗り展望台「スフィンクス・テラス」に出ると、真っ白の世界と真っ青な空のコントラストで眩しいほどだ!
こんなに素晴らしい天気に恵まれ我らは本当についていると思った。
3,454mのユングラフヨッホに到着! |
展望台「スフィンクステラス」3,571m |
回りは全てが銀世界、後ろにそびえるのは4158mの「ユングフラウ」だ。この地方の最高峰である。
標高があるせいか、空の色が深い!!寒さは天気が良かったせいかそうでも無かった。 |
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眼前に「ユングフラフ(4158m)」が望め、それらをバックに記念撮影した後、ロビーに戻ると、観光客でごった返ししていた。
そこに日本の懐かしい赤い郵便ポストが設置してあったが、ここから、記念に手紙を出すそうで、はがき売り場は日本人で賑わっていて、日本語表記の案内も結構あった。
帰りは、行く時に乗り換えた「クライネ・シャーデック」駅から次の駅「アルピグレン」までハイキングすることになった。
歩き出すと右手にアイガー北壁やユングクラフの山並みがせまり、左手には牧歌的な風景が広がっていて、道中の景色は絵はがきの世界のようで自分がそこにいることが信じられないようだった。
アイガー(3970m)、メンヒ(4107m)、ユングフラウ(4158m)をバッグに皆さんでバンザイ!!
その山の岩盤をトンネルが頂上まで貫いているとは信じられない。 |
電車を降りてハイキングする |
登山鉄道 |
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2時間ほどハイキングし、朝、車で送ってもらった「グリンデルワルト」に戻り、添乗員Kさんの車でホテルへ急いで戻った。
なぜなら、4時よりサッカーワールドカップの日本×パラグアイ戦が始まるのだ。ホテルのロビーで観戦したが、残念ながらPK戦で負けてしまった。
でも、サムライジャパン良く頑張った(泣)
夜は近くのレストランで、
ビール片手に「プロースト!!」
6月30日(インターラーケン→マイエンフェルト)
本日も、快晴だ!!
添乗員Kさんが「今日も予定を変えてアルプス越えしたいがどうですか?」皆さんすぐに賛成。
峠の入り口より、今回もフリー走行となり一気に高度を上げて行く、目が回りそうなコーナーが連続で続くので気が抜けない。頂上に着くと、このグリムセル峠(2165m)にも走り屋がたくさんいた。
グリムセル峠にて |
グリムセル峠にて |
道路自体は整備されていた |
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続いての峠は氷河で有名なフルカ峠(2431m)だ。途中、左折し河沿いの急坂とヘアーピンカーブを一気に登っていくと峠に着き、みやげ物屋の駐車場にバイクを停めた。
土産物の後ろ側に氷河があり見学できるということで7ユーロ=800円払い氷河見物となった。
そのローヌ氷河に降りてみると、氷河に掘られた氷のトンネルがあり、中に入るとブルーな色が神秘的であった。
フルカ峠にポツンと佇む「ホテル・ベルヴェデーレ」 |
フルカ峠より、登ってきた方向を望む、いかに急坂だったが分かる。 |
ローヌ氷河、氷河の上を歩くこともできる |
氷河の内側は神秘的なブルーであった。 |
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店内に、100年前の写真が飾ってあったが、当時からすると氷河は相当後退しているようだ。
下り道は道幅もせまくヘアピンカーブの連続でバスなどは擦れ違うのがやっとだ。
さらに日本みたいなガードレール部分もあるが、石造りのガードレールらしきものしかない所も多い。
添乗員Kさんによると昔はそれすら無かったらしい。
コワ〜ッ!!
(右の写真、片手運転での写真で結構怖かった)
アルプス越えのワインディングを堪能し、麓(ふもと)のレストランでランチを食べていると何台ものライダーが通り過ぎていった、さすがにアルプスでも有名な峠道が密集しているだけのことはある。
午後4時頃、今夜の宿泊地、「アルプスの少女ハイジ」の里で有名な、「マイエンフェルト」に到着!!
どこが泉? |
ここでは、車にてハイジの里を見学に行くが「ハイジハウス(博物館)」などの建物は5時を過ぎているので閉館しているとのことで、車で近くをドライブにすることにした。
有名な?「ハイジの泉」を見学したが、拍子抜けであった。 |
前方の山の上に見える古城に行こうということで昇っていくと、忽然と街並みが現れた「何で、こんな山の中に・・」教会も大きいし立派な町だ。
そこで店頭に旧車を発見!停車してみるとお店は夕方だったので、すでに閉店しており、ウィンドウ越し除くと所狭しと古いBMWや見たことが無い旧車などが並んでいた。
山の中に忽然と立派な町が。 |
店頭にあった「CONDOR A350」 |
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CONDORがあったお店、閉店していた。中を覗くと旧車がビッシリあった。 |
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ホテルに戻り、夜食はウェイトレスお勧めのピザを食べ、
ブロースト! |
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7月1日(マインフェルト→フュッセン)
今日は、世界最小の国のひとつリ「リヒテンシュタイン」に寄り、オーストリアを走り、ドイツの「ヒュッセン」までのルートだ。
アウトバーンを降り、駐車場にバイクを止め、頭上に目をやると、頂にお城がみえた。「あれは、何?」と聞くとリヒテンシュタインの王様が住んでいるとの事。そう、ここはすでに「リヒテンシュタイン(35,000人)」だったのだ。
3ユーロ払えば入国スタンプ押してくれるということで観光局で記念にパスポートに押してもらった。
この国は切手の販売で税収をあげているせいか、あちこちに切手型のレリーフがあり、「切手博物館」なるものもあった。
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切手博物館とレリーフ |
この後、、田舎道を走ったのだが、ここら辺りから、いまどの国にいるのか分からなくなってきた。たしか、今日はリヒテンシュタイン、オーストリアを走り、ドイツに入る筈だ。しかしながら天気も良く景色は本当に素晴らしかった。
天気も良いので景色も最高だ!!(たぶんオーストリア) |
やはり、教会は常に見かける。 |
とあるレストランにてランチ |
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午後4時半ころ、「フュッセン(人口14,000人)」に到着した。
フュッセンも古い町で、ここは、古城見学の拠点となっているようで観光客も多い。それに、ロマンティック街道【ルートマップ】の終点の町でもあるので尚更だ。
ホテルで休憩後、土方さんと見学に出かけ、「聖マング市教区教会」や500年ほど前に建てられた「ホーエス城」を見学した。
ロータリーを通ってフュッセン市街へ |
パトカーはアウディだ。 |
R1200RT |
ドイツ人が乗るとGSも125なみ? |
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、ディナーは添乗員Kさんお奨めの中華料理店で
7月2日(フュッセン→ミュンヘン)
今日はシンデレラ城のモデルとなったと言われる「ノイシュバンシュタイン城」の見学予定だ。
ホテルを8時頃に出発し、15分くらい走ったら到着しバイク専用駐車場に停めた。
バイクの駐車代は無料かと思ったが、どこからかおじさんが現れしっかり徴収されてしまった。
でも、きさくなおじさんで、親しげに話しかけてきた。
この城は、予約無しでは入城できないそうで、日本から、あらかじめ手配してあったらしくチケット購入はスムーズだった。
目指す城は山の上だ。歩いて登るかシャトルバスで行くかとなったが、歩くと40分もかかるそうでバスに決定!!
バスは坂道を登って15分位で到着。でも、そこから城は見えない。皆さんに付いていくと架け橋があり、お城見物の絶景ポイント「マリエン橋」に出た。
マリエン橋から見た「ノイシュヴァンシュタイン城」 |
マリエン橋にて |
マリエン橋、結構高い!!
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城の窓からは、田園風景が広がっていた。 |
高所恐怖症の私はビビリながら写真を撮り、そこそこに引き上げ、いよいよ、城内見物だ、門をくぐり中庭に入ると、ここも人気の観光スポットだけに観光客で一杯だ。
日本人も結構多く、ライダー姿の我らを見て「日本からですか?」などと声をかけてくれ「すごいですね」などと言われてしまった。
グループごとに、分かれて内部に入るのだが写真撮影禁止だ。
中は本当に凄い。目も眩むような調度品や素晴らしい絵画など、今まで見たことが無い豪華さであった。
見学後は、ロマンチィック街道を北に走り、途中よりアウトバーンに入りミュンヘンを目指す。
牧歌的な風景のロマンティック街道を走る、正面見えるのは「聖コロマン教会」 |
ミュンヘンに近づくにつれアウトバーンが混んできた。
借りたバイクを返す前に、「BMW博物館」を見学することになった。
バイクで近づくと、正面に写真で見たことのあるエンジンの4気筒をモチーフした本社ビルが見えてきた。
受付で聞くと見学するのに1時間以上はかかるとのことで、バイクを返す時間もせまっていたので、見学は明日の午前中にすることにし、向かい側のBMWヴェルト(デリバリーセンター)を見学した後、BMWモトラッドに向かい、無事にバイク返却した。
それにしてもR1200Rは乗り易くて良いバイクだった。
「モトラッド」からはバスに乗り込みホテルに向かい、身軽になって、いよいよ「完走パーティ」会場のビアホールに向かうことになった。
バスを降りるとダウンタウンのようなところに、観光名所であるミュンヘン最大のビアホール「ホーフブロイハウス」はあった。
そこは3階建の大きい建物で、我々は3階へと上がると、店内は体育館みたいな広い所であった。バンド演奏などのショーやっており、
バイキング形式のドイツ料理とビールでプロースト!!
中は体育館みたいに広く、時間が早かったせいかお客さんはそう多くなかった。 |
ショーも楽しめる |
ジョッキの大きさが日本と違う |
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ここで、添乗員Kさんより、誕生祝をもらってしまった(そう、この期間中の6月28日が誕生日だったのだ)。Kさんありがとうございます!!
7月3日〜4日(ミュンヘン→ドバイ→成田)
今日は、いよいよ最後の日となってしまった。食事も早々に済ませ、昨日見ることができなかった「BMW博物館(BMW Museum)」に向かった。ミュンヘン中央駅より地下鉄に乗り「BMW博物館」へ。
左が4気筒ビルがBMW本社、右側のお椀のような建物がBMW博物館で、空から見るとBMWマークになっている。
BMW博物館は2008年リニュアールされたらしく、全てが綺麗だった。 |
オープンと同時に入館し、真っ先に向かったのは「R32」の所だ。今回の旅行はこれを見るために、はるばるドイツに来たようなものであった。そのミュンヘナー第一号「R32」、水平対抗エンジン、シャフトドライブと、まぎれもなくBMWの原点が目の前にあった。
BMW R32(1923) |
航空技師でもあるマックス・フリッツがフラットツイン+シャフトドライブの基本理念にて造った「BMW」ブランドの1号車が、あまりにも有名なR32である。その後の空冷エンジンに使用されている「R」はモーターサイクルを表すドイツ語の「RAD」の頭文字からとったものである。
BMWのエンブレムは、青と白で円を4分割したもので青い空と白い雲にプロペラが回転しているイメージで作られた。その「BMW」ブランドの第1号車R32は、1923年のパリモーターショーで発表された。ヘリオスの「ババリアの軽いエンジン」のニックネームをもつ、M2B15型エンジンをリファインし、縦置きにして、エンジン型式名をM2B32として用いた。
クランク軸の方向を90度振られたこのR32のエンジンは、ヘリオスの6.5psから8.5ps/3,300rpmにパワーアップされたのが特徴だ。 23〜26年に3,090台造られたR32だが、最初のいわばプロトタイプに近いマシンにはヘッドライトやホーンがなかったり、リヤのVブロック式ブレーキはプロトにも見られるが、フロントのディスクプレートのように見えるのは、スピードメーター用のプーリーである。それと、シリンダーヘッドのピストンチェック用プラグの形状が異なることを除けば、プロトも量産モデルも大差なかった。 |
壁一面に展示 |
ヘリオス用エンジン |
BMW R7(1934) |
BMW R255 |
BMW R90S |
スピードレーサー |
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今まで、見たことがないバイクも展示してあった。それはBMW R7だ。プロトタイプということで量産はされていない。70年ぶりに箱入りで見つかり復刻されたらしいが、そのデザインの美しさに、今、販売しても十分に売れそうだ。
四輪も当然展示してあり、往年の名車「2002」など、コンセプト・カー、レーシング・モデルや市販車を多数展示してあった。
BMWの本社は現在もミュンヘンにあるが、ここでバイクの生産が行われていたのはR32(1923年)からR69S(1969年)までであり、その後はベルリンのシュパンダウ工場で生産されることになった。それからは、、ミュンヘンで生産されたものをミュンヘナー、ベルリンで生産されたものをベルリナーと 呼ぶようになったのだ。
私のミュンヘナーR60の生誕地に、自分自身が、いるということは感慨深いものがあった。
もっと、ゆっくり見たかったが、帰国の時間もせまっており、隣接するオリンピック競技場のパブリックビューイングで放映されるサッカーワールドカップの応援に行くドイツ応援団とは逆の方向へ向かいホテルに戻った。
その後は、空港に向かい日本へと飛び立ち、また、まる一日かけて梅雨空の成田空港へ到着した。
梅雨空の成田に到着!! |
このツアーに参加された皆さん、企画会社の(株)道祖神Kさん。楽しい11日間でした。
お陰さまで、私として一生の思い出となるツーリングとなりました。
皆さんにダンケ・シェーン!!
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