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北海道ツーリングふーてん旅日記
2008年7月21日〜31日 北海道
町田のフクダ

クッチャロ湖
 7月20日、21日は岩手県湯田温泉峡の神田さん別荘に泊まるクラブの「みちのくロングツーリング」です(ツーレポ参照)。そうだ、東京から岩手まで行くのだから、いっそ北海道まで足をのばしてみよう!ただしシーズンということもあるし今から宿をとるのも面倒だからテントを積んで野宿で廻ろう、と決めたのは「みちのくロンツー」の1週間前くらいだったでしょうか。いつものことですが、得意の泥縄方式です。往きは大間からフェリーで函館にわたり最北の地、宗谷まで行き、帰りは苫小牧からフェリーで大洗へと大雑把なプランで、フェリーだけを予約あとは風まかせのふーてん一人旅です。

北海道が呼んでいる

7月21日(月) :恐山は恐ろしい

朝の神田さん別荘での解散後、クラブの皆さんと別れ1号線を一人北へと進路をとりました。

      今日の目的地は下北半島。

 昨夜、神田さんにアドバイスしてもらった1号線は広々と続く田園と背後の山々を見ながら走る街道で、いかにものどかな感じが良い。1時間半ほどで盛岡到着、そこからは高速道路を乗り継ぎ、三沢市から一般道です。三沢からしばらく太平洋岸に沿って北上しますが、急に気温が下がり合羽を着てもまだ寒い。

 途中で陸奥湾側へ進路変更し、むつ市経由「恐山」に着いたのは夕方4時ころでしたか。荒涼とした景色のなかに建つ寺はなにやら不気味な気配に包まれ、三途の川はきっとこんな感じだろうかといよいよ気分が沈みます。ナミアムダブ、ナミアミダブ・・・

恐山

 さて恐山を向こう側へ30分も下ると薬研(やげん)キャンプ場に着きます。昔は無料だったそうですが、500円払ってテント設営、近くの宿屋で風呂をもらい一息ついてから握り飯、インスタントラーメン、ビールで腹ごしらえして眠りに就きました。夜半から雨がテントをたたき始めました。

薬研キャンプ場

7月22日(火)
 :ああ、わが旅ここで終わりか

明け方、外をのぞくとまだ降っていますが、小降りをみはからってテント撤収。雨の日の野営はシンドイ、濡れたものがどんどん増えるからです。朝飯は途中で食おうと6AM過ぎにはやばやと出発。

 大間から函館行きののフェリーは第2便、11時半の出港です。

人影も車影もない海沿いの街道を走るうち、やがてバケツをひっくり返したような豪雨となりました。

ようやく大間の町の手前で食堂らしき看板をみつけ入ってみましたが、これが土産物の店、仕方なく相変わらずの土砂降りのなかでエンジンキーをいれるとABSの赤ランプがチカチカとせわしく点滅したままで正常点滅に戻りません。すわ!警告シグナル、しかしどこが悪いのかとっさにはわからない。幸いエンジンはかかるのでともかく大間港目指して走り出しました。そして港の入り口の赤信号で停車しようとしたらツツーっと前に出て、危うく右から来た軽トラに接触しそうになる!なんとブレーキが利かないぞ!!
(正確には油圧が効かずマニュアル制動となったため、ブレーキの効きが極端に低下していた)。うわーっ、こんな辺鄙なところでどうする?! と一瞬頭の中が真っ白です。

大間港

 ようやく港のフェリー待合所にたどり着き、早く着きすぎてまだ誰もいませんが、濡れた衣類を乾かしながら必死に思案のあげくBMWのロードサービスに連絡してみました。

 朝の7時半ではだめかと思いましたが、思いかけずも女性の方が電話に出てくれて、近辺にはBMWディーラーなし、札幌に2店あるので函館に渡ってから札幌へ行ってくれというのです。しかしこの状態で函館〜札幌の自走は到底無理、結局私がフェリーに乗っている間にレッカー車を探してみるとの結論になりました。

    あ〜ぁ、下北半島はホントなんもいいことがなかった・・・

 函館港には13時過ぎ到着。

 朝の女性に電話を入れてみると函館にはレッカー車がないので札幌から呼んだ、もうすぐ来るという。暫らくして大型レッカー車到着し、片隅にちんまりと愛車を乗せて一路札幌めざして出発、やっと最悪の状態は脱出できたようです。

 それにしても、くだんの女性はとてもよくやってくれ、その後も札幌ディーラーへの修理予約や搬送費用・ホテル宿泊代等の本人負担は不要であることなど走りながら連絡をもらいました(修理費は自己負担です)。

 みなさん、BMOJ会員になりましょう。本当に地獄に仏(観音様)という実感です。ちなみにBMOJ問い合わせ電話番号は0120-30-1819または045-575-2245です。

 レッカー車運転手さんは今朝9時に札幌を出てまた札幌へトンボ返りですが、道中5時間余尽きぬ話題に花を咲かせ、夕方6時半ころ札幌市東区にある「アウフヴィント」で別れを告げました。

 すぐに若いメカさんが修理にかかり1時間ほどで完了、場合によってはすぐには修理できないかもと、ずっと一抹の不安がありましたので、ようやく私も生き返ったような気持ちになりました。

7月23日(水) :富良野のメロンはチョーうまい

 昨夜BM店で紹介してもらったビジネスホテルで一夜を過ごし、朝一番でおそるおそるキーオン、異常なくホッとしましたが、以後は故障再発のプレッシャーを感じつつの旅となりました(メカの基本は勉強しないといかんと痛感しましたが、昨日のメカさんはコンピューターをつないで診断していたから、ペンチとドライバーでは歯が立たない世界なんだろうとは思うのですが)。

 今日は富良野までの予定ですが、ホテルを出るときに壁を塗装していた職人さんが「富良野へ行くのは12号線がいいよ」というので、石狩まわりの予定を即変更、おかげさまで富良野には余裕の到着で、夕方「星に手のとどく丘」にキャンプイン(¥1000プラスごみ代¥100はちと高いノ)。

 テント設営後約20Km先の十勝岳山頂近くの凌雲閣の温泉へ立ち寄り湯に行ってきました。キャンプ地では曇りで星は見えませんでしたが、さすがに名物の旬のメロンがうまい。一人では食べきれないので、隣のテントの若者たちにおすそわけ。写真真中がわがテントです。

富良野「星に手のとどく丘」

7月24日(木) :腰痛の到来

 
朝起きると左の腰に少し痛みを感じましたが、寝違えたのかもと考え8時前にテントをたたんで出発。

 ファーム富田に立ち寄った後、美瑛(びえい)の丘をぬけ一路北上。今日は野営を中止し、名寄駅でホテルの紹介をしてもらい投宿。風呂にゆっくりつかり、ホテル内のコインランドリーで数日分の洗濯をすませました。

美瑛の丘

 ところが夜半に腰の痛みが急にひどくなり、寝返りもできない状態となりました。一難(バイクの故障)去ってまた一難(身体の故障)、これはヤバイぞ。旅先での身体の故障は全くの想定外です(私も身体の心配をしなければならない歳になったのかとショック!)。

7月25日(金) :病院へ

 幸いホテル近くに名寄市私立総合病院があると聞き、朝一で行き診察の結果、腰の捻挫とわかり薬を貰いました。

 老骨にヒビでも入ったかと要らざる心配をしておりましたが、事態がわかればひと安心です。医師もホントは薬より静養だと云われたので、大事をとって本日は行動せず、名寄にもう一晩泊まることとしました。捻挫の原因は不明ですが、レッカー車移動の時パニアケース等を助手席に持ち込んだため、札幌までの5時間余を窮屈な姿勢でいたためかもしれません。

 しかし、たまたま金曜日に病院に行けたこと(土日は休み)、その病院が総合病院で整形外科があったことはまったくラッキーでした。これも人徳のなせるわざでしょうか。病院は大変な混みようで、帰路タクシーの運転手さんに聞くと、北海道の地方には病院がない、病院があっても医者がいない、そのためここ名寄の総合病院に遠路はるばる患者さん達が集まるとのこと。厳しい生活環境に胸をつかれた思いです。

 こうして次の日からは愛車の故障と共に身体の故障も危惧しながら走ることとなりました。マアなるようになるでしょう。

7月26日(土) :猿払のホタテカレーはホタテ10枚入り

 きのう一日寝ていたので少し楽になりました。とはいえ着替えや靴をはく時は容易ではありません。しかしいったんバイクで走りだせば腰のことは忘れてしまいます(3歩あるけばすべてを忘れるニワトリと一緒や)。

    よし、今日は稚内まで行くぞー。

 昼前にクッチャロ湖に到着。思えば大間の大雨とその後はずーっと曇または小雨で、北海道にも梅雨があるのかしらんというような天気でしたが、今日は北海道上陸後はじめて快晴に恵まれ、合羽を着ないと寒いような爽快な気候です。そしてクッチャロ湖をはずれると・・・

 そこには弾丸道路「エサヌカ線」が待っていました。牧草地を一直線に切り開き、はるか先は地平線に吸い込まれている。無心にバイクを駆ればやがて右手には心に沁みるような深い藍色のオホーツク海が広がってきます。

エサヌカ線

 ほどなく道の駅「さるふつ公園」があったので昼食をとりました。

猿払村は日本最北端の村で天然ホタテ貝の水揚げ日本一とか、迷わずホタテカレーを注文。なんとホタテのでかい貝柱10枚入りで皿がほとんどおおわれている、う・うまいっ!





 このあと宗谷岬を経由し、稚内で投宿。稚内駅で紹介された宿は駅のすぐ隣で、風呂からホームがよく見えます(素泊まり¥6000)。夜は飲み屋で地元の方々と話がはずみ、ウニ漁をやっているからと利尻島・礼文島行きを強く勧められ、腰が気になるので早めに南下しようと思っていたのに又もや即変更、翌日は島渡りをする約束をしてしまいました。

宗谷岬

 ところで真冬にバイクで流氷見物ができますかと恐る恐る聞いてみますと「零下30度だ、バイクは見たことねーし、除雪の雪で道路幅は半分になっちまう。ふぶいたら車でも前がぜんぜん見えねーし、マ2〜3年ここに住んでからもう一度考えた方がいいんでないの」との温かい助言をいただきチョンであります。

7月27日(日) :ウニを求めて島めぐり

 早朝6時過ぎ、稚内駅の裏手の港から始発の利尻島行きフェリーに乗船。

昨夜宿のご主人が時刻表を用意してくれ、始発に乗れば2島廻って夕方には戻れる算段。出港後はるかに霞むジェラッシックパークの島を思わせるようなとがった山が水平線上で徐々に大きくなり、8時過ぎに利尻島の鴛泊(おしどまり)港着。

利尻島

 上陸して反時計まわりで島を一周。残念ながらウニ漁は見かけませんでしたが、道路脇いたるところで昆布を干しており、一家総出で作業しています。道路に車なくほとんど貸切道路です。
 1時間半ほどで港に戻り、礼文島行きのフェリーに滑り込みセーフ。ここのフェリーは回遊券を販売しておらず、いちいち各乗り場で出港1時間前から発売する乗船券を買わなくてはなりません。

 礼文島には周回道路がなく、南北15キロほどの海沿いの道を行ってこいです。写真はその北端のスコトン岬

礼文島「スコトン岬」海に浮かぶはトド島

 土産物店があり手拭いを二つに畳んだほどのでかい昆布を購入し、これで今年の冬のおでんはバッチリです。香深(かぶか)港にとってかえし稚内にもどる船を待つ間、ターミナル2階の食堂で待ちに待った「ウニ丼」を食す(¥3100)。店員さんに聞くと6〜8月が旬のよし、てんこ盛りのウニにワサビ醤油をぶちまけてかっこむ・・・Ah〜、美味なり、美味なり



7月28日(月)
 :南下開始

 
ここで我がふーてん旅行の宿のとりかた必殺法をご紹介しましょう。
1.宿泊地には日の高いうちに到着する。
.町に着いたらまず駅に行く。駅には観光案内所か旅行販売所があるから、そこで相談する。
3.ダメなら駅前のタクシーの運ちゃんに聞く。
4.いよいよダメならホテル等みつけて飛び込む。条件が合わなかったらそこで別の宿を紹介してもらう。
5.なお、白馬の騎士さんによれば、交番に飛び込んで聞くという奥の手もあるようです。

 さて、日本の最北を極めたので、今日からは苫小牧をめざす旅となります。

稚内の町からノシャップ岬をまわり、あとは日本海に沿って一路南下、それにしても宗谷岬をすぎてからこのかた、街道筋の丘の上には何基となく巨大風車が現れては消え、無人の道路はまるで異星の地を走っている感じです(街道名はその名も「天売(てうり)街道」というのです)。

ノシャップ岬

 途中で日本最北の重要文化財の鰊番屋(にしんばんや)「旧花田家番屋」を見学。明治時代の鰊で海の色が変わったというころの網本の居宅です。漁夫・船大工・鍛冶屋など200人余を収容していたという巨大木造家屋で、外見の繊細な美しさもさることながら柱や梁組などの内部造作も素晴らしく、大工仕事が趣味でもある私には時間のたつのも忘れるほどでした。

旧花田家番屋

 夕方、滝川市に入りました。

 次なる目的地の帯広へちょうど1日の旅程となる距離なので、全く馴染みのない街ですが今夜はここに泊まることに決め早速滝川駅へ。

 しかし旅行コーナーはおばちゃん組が重い腰をすえ、いつ終わるともしれず応対女性を独占しております。ふと外を見れば駅前にとめた我が愛車に黒山の人だかり(と言っても実はタクシーの運ちゃんが2〜3人で品評会)。BMバイクにはひとを惹きつける不思議な磁力がありますね。

 すぐ外に出て彼らとバイク談義のあと、目と鼻の先にある旅館を紹介してもらいました。
 素泊まり¥4300です。いっとき宿の主人と談笑、町を出たのは東京の短大当時の一回きり、冬は零下2〜30度にもなる厳しい風土であるが住めば都、ここが一番いいといわれるのが印象的でした。

 そういえば稚内の飲み屋でも皆さん異口同音に住めば都と云っていたな〜。何もないうら寂しい街でしたが、駅の隣に駐輪場があり、高校生が自転車で大勢旅館の前を通ります。昼間でも殆どひとけのない過疎の町や村を駆け抜けてきた私には、若い一群を久しぶりに目の当たりにし、何やらホッとするものを感じたのでありました。

7月29日(火) :地獄のあとにハプニング

 いざ帯広へ。なんで帯広?・・・いちど名物「豚丼」を食してみたい一念であります。
   ルートは富良野へ出てから南下し日高経由と決めました。

 さて宿の払いを済ませると財布が心細い、金をおろさねばと思いましたが東京三菱銀行などドコニモナイのだ、いったいこれまで走ってきた町々でもまるで見たことがないのに気が付きました。待てよ、〒マークはどこでもあった!幸い郵貯カードも持参していたので富良野郵便局でわが口座に少々の残高ありを確認し事なきを得ましたが、地方はやはり郵便局が頼りです。

 郵便局を出て再度ファーム富田に立ち寄り妻と娘たちの土産にラベンダー香水をゲット、香水のことはよくわからず気に入ってくれるとよいのですが。そして日高へと下り、左折して274線(石勝樹海ロード)にのるまでは内地の初夏を想わせる素晴らしい天気と鮮やかな緑のなかを軽快に飛ばしてゆきました。まさかその先に地獄の一丁目があるとも知らずに・・・

ラベンダーの丘

 そうです、日高から帯広へ通じる石勝樹海ロードには日勝(にっしょう)峠越えがあり、大型トラックの通行も多いのです。さて峠をのぼってゆくと前方道路上に白い雲が座っている、こちらは快晴なのにそこから先は雲というのがくっきり分かれています。いやな予感がしましたが突っ込んでいきました。途端に周囲は一面乳白色の世界、視界極めて悪くせっかく装備した2連フォグランプもほとんど役に立ちません、

石勝樹海ロード」大きい地図は→こちら

 Kuso ! やがて濡れ始めたので合羽を着るべく路肩駐車しました

 濃霧は音も吸い取るのでしょうか、低い排気音が聞こえたと思う間もなく、後ろの白いカーテンを切り裂いて突然大型トラックがつぎつぎと現れる、そして慌ててハンドルを切りこちらをすれすれに避けてゆくのがわかります。

 これでは停車しているのも危険だとあせりながら発進する。止まっていれば視界数メートルですが、走りだせばわずか2〜3メートルしかありません。トロトロ走ればおかまを掘られるしと、前輪わきの黄色いセンターラインだけを見ながら(それしか見えないのです)必死で走りましたが、本当に怖かったです。時間にすれば1時間程度だったのかもしれませんが、無限の長さを感じました。

 後でマップルをよく見れば日高の標高500m, 日勝峠1020mとある、もっと安全なルートがあるのに情報を見落とし、安易なルート選定をしたことを深く反省しましたが、後悔先に立たずです。北海道は真ん中南北に山脈が走っており、これを東西に抜ける時は天候急変の峠越えがある、実は3年前に妻とタンデムでこの道を逆に走っており、その時も恐怖の白い世界を経験していたのですが、コロリと忘れており油断がありました。

 ようやく帯広駅に到着、市の観光案内所で旅館リストをもらい電話をいれたのですが今日はどこも満杯、やっと7〜8軒めで「ホテル光南」がとれました。偶然とれた宿でしたがこのホテルはお勧めです(電話 0155-23-7353)。¥5040で朝食タダ(食べても食べなくても同じ)、温泉は世界でも有数のモール温泉(亜石炭層から湧出する植物湯)、部屋もきれいで従業員もいい感じです。

 さっそく広い温泉に入りますと、倶利伽羅紋紋(くりからもんもん)のおニイさんが二人いらっしゃる。この温泉は銭湯として開放しており、地元の方々が朝な夕なに利用している由、なにしろ生身の彫り物を眼にするのは初めてで興味しんしん、背中・尻・脚まで青色の薄衣をまとったように見事なものです。近くでよく見たかったのですが、さすがに怖いので遠目の横目でチラチラと拝見させていただきました。

 さて湯をでてからいよいよ「豚丼」を食すべくホテルの前で地図を見ておりますと、先ほどのおニイさんが「ビーエムのバイクかい?」と声をかけてきました。しばしバイク談義の後、これから豚丼を食べにマップにある元祖豚丼の店へ行くと告げると、「よせよせ、あすこは高いだけだ。うまい店を教えるから俺についてこい」と言うのです。

断りきれずにでかいランクルの後から走り出しました。すぐに後悔、変な所へ連れ込まれたらどうしよう、こっちはバイクだから逃げ切れるだろうか、てな事を考えているうち、ものの数分で寂しい住宅街の中にぽつんとある「とん田」に到着しました。「夕方だから空いているが昼間は行列よ、じゃあな」「ど、どうもありがとうございました(礼)」。

写真はバラです。すべて680円で
ぶた丼、味噌汁、おしんこ、おかずが
付いてきます。

 店に入るとロース・ヒレは売切れでバラ肉を注文しました。まいう〜さんの来店写真も飾ってあり帯広では評判の店らしい。値段もすべて¥680と安いのがうれしいではありませんか。きました豚丼、焼肉の切片が重なり合ったその下の白飯には甘しょっぱいたれが染み込み・・・ク〜、ウマッ!

730日(水) :さらば北の大地よ

 とうとう北海道最後の日になってしまいました。18時半出港の苫小牧〜大洗のフェリーに乗らなければなりません。

 最短距離は昨日来た道を戻り夕張から高速です。地獄の一丁目をまた走るのかよと思いつつ、宿の前で出発準備を始めました。すると朝湯あがりの人に声を掛けられました「そのバイク高そうだな」。そしてまたもしばし談笑です。1年の半分は内地へ出稼ぎ、残り半分はこちらで静養、クルーザーを所有しており仲間と釣りに行く毎日だとか、子供さんはと聞けば娘さんがカナダに留学中とのことで、いや〜豪快な方もいらっしゃるようです。「苫へ行くなら南に下がって太平洋岸がいい、途中花畑牧場でお土産買って、日高の馬を見てゆくといい、フェリーには十分間に合うから」とのアドバイスをもらったので本日のルートは決まりました。

日高

 おじさんに別れを告げ30分ほどで田中義剛さんの花畑牧場に着き、9時の開店を待って噂の生キャラメルを制限いっぱい(一人5箱まで)買い込む。

花畑牧場(HPより)

 その後順調に距離を稼ぎ、襟裳岬(森進一の襟裳岬は→こちら)を手前で迂回し、その名も天馬街道の両脇に広がる牧場の中を走ります・・・馬ばかりでした。太平洋岸235号線はさすがに混んできましたが、それでも10台がつながる程度です。

 苫小牧港には17時前に到着しました。無事走り終わったことを家に連絡。娘から「お父さん、遠足は家に着くまでが遠足だからね」ときつーいメールが一発。

 定刻、寒いような曇天のもと船がゆっくりと離岸します。想えば波乱多き旅でした。
たくさんの人々との出会いがあり、そして至る処で受けた親切は、この先もきっと忘れることはないでしょう。
いつかまたここを訪れることはあるのだろうか・・

いざさらば・・・さらば北の大地!!(ToT)/~~~

7月31日(木) :最終章

 フェリーで快適な一夜を過ごし、14時頃大洗入港。

 常磐道にのり夕方17時過ぎに無事自宅に到着しました。かくして、東北および途中のレッカー車の旅も含めると陸路約3000キロのふーてん一人旅が終わりました。

 最後に旅の途中でお世話になった人達をここに記し、心から感謝の意を捧げたいと思います。

 大間での愛車ブレーキ故障に対し、札幌からのレッカー車手配という大胆策をやり遂げて下さったBMWロードサービスの担当女性の方、旅のとん挫を免れることができたのも貴方のおかげです。札幌からとんぼ返りで愛車を運んでくれたレッカー車の高津さん、車中では尽きぬ話題に楽しく便乗させていただきました。札幌のBMWディーラー「アウフヴィント」の若いメカさん達、修理の合間に愛車のブレーキシステムの構造や国産車に比べいかに優れているか、リヤサスの調整の仕方、道内走行の留意点などなど、目からうろこのお話をありがとう。

 名寄で立ちゴケの際、ヒョイとあらわれて助けてくれたおっちゃん、その後ひんまがったカウルステーの修理にてこずっている時もまたヒョイと来て手を貸そうかと声をかけてくれました。

 名寄市立総合病院の整形外科の若いちょびひげ先生、俺もバイクに乗るんだよ、安静第一だけどマアいいやとGOサインをくれたので、またもとん挫を免れることができました。

 稚内では島行きを勧めてくれた飲み屋のおっちゃん、宿に戻れば深夜であることも忘れて翌朝のフェリー予約の電話をかけてくれたご主人。そして帯広のくりからもんもんの豚丼おニイさんと花畑牧場を教えてくれた朝湯のおじさん。・・・・

  皆さん、ほんとにお世話さまになりました、多謝多謝多謝。        
(完)
レポーター町田のフクダ

※写真は管理人が勝手に掲載しておりますので、都合が悪い方はご連絡ください、削除致します。
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