イタリアツーリング紀行
2007年9月21日 イタリア・トスカーナ地方
町田の福田


シエナ街並み

モンテプルチャーノの村
・・・ひと月半ほどイタリアに行っておりました・・・
 
シエナは城壁にかこまれ小高い丘の上にそびえ立つ中世そのままの石造りの街だった。歩いて1時間ほどで町はずれについてしまう。私は城壁の外にある下宿先から毎日30分歩いて街なかの学校(料理学校)へ通っていた。今度の金曜日は休講だ。念願のツーリングをいよいよ決行するか。さすがに不安が頭をよぎる。途中で事故ったらどうする、一人で故障したら手も足もでないぞ、電話はないし人家はないし・・・えいままよ、なんとかなるさ・・・最後はいつも根拠のない楽観主義が勝つのは分かっていた。リスクをとらない人生は俺のスタイルではない、決行、決行、決行だ〜!
 貸しバイク屋はインフォメーションセンターで教えてもらった。ちなみに大都市ではもちろん、小さな町でもほどんどに公営のインフォメーションセンターがあり、その町の地図やいろいろな情報をツーリストに提供してくれるシステムになっている。(そうか、観光はこの国の重要な産業のひとつなのだ。このことが分かるまでずいぶん時間を浪費した。センターの場所を探すのはこれまたひと苦労ではあるが、ともかく知らない町では人に聞いてまずインフォメーションセンターに辿り着くのがよい。)・・・
かくて前日バイク屋へ行くと当日
9時に来てくれという。

 素晴らしい天気だ。リュックに地図、チョコレート、水そして持参のグローブ等を詰め込み、急坂を30分歩いて市内のバイク屋へ行く。まだ担当者が来ていないからと待たされる。ちなみにイタリアでは諸事遅れることに怒ってはいけない。国鉄に乗ると列車案内の電光板には「遅れ」の項目がちゃんとあり、たいてい10分とか15分とかが表示されている。遅れたら気長に待つしかないのだ。(ただし列車の場合は遅れが重なるとホームのやりくりが生じ、発車の番線が直前に変更されるから、最後の最後まで確認してから予定列車に乗らなければならない。アナウンスもあるが聞き取りは難しい、電光板で確認するほかない。)

 さてバイク屋では免許証とクレジットカード(身分保証のため?)を提示して何やら沢山書いてある書類にサインを求められた。訳のわからぬ書類にサインして大丈夫かな〜?あるのはスクーターばかりで残念だったが、一番でかいのを借りた。少し汚れている、どうやらYAMAHAみたいだ。(この時、車体をきれいにし傷の有無を店側と確認しておくべきであった。これが後で問題になるとは知る由もない。)
 料金は夕方6時半まで借りてヘルメット込み52ユーロ(9千円弱)、保険は第3者への損害賠償のみついている。早速ウィンド内側に用意してきた「右側通行!」の付箋を貼る。レーンを間違えたら一巻の終わりだ。いざ出陣、胸がおどる。

 まずシエナ市街で迷子になる。中世の城砦都市だから道は石畳みで迷路のごとし、ほどんどが一通で、曲がり処を間違えるとどんどん違う方へ行くことになる。いったい俺はどこにいるんだとぼやきつつ、最後は駐車中のおじさんに道を聞いた。そこの信号を右折して・・・までは身振りで理解できたがその先は何を言ってるのかまるで分らない。チャオと笑顔で別れ右折してみたら見覚えのある道、シメタ、やれうれし!ということで街を出た時は10時半を過ぎていた。あとは城壁外側の道路を南へぐるりとまわり、3番目の城門である「ロマーナ門」の道を郊外へとればよい。「ロマーナ門」は前に散歩で通っている、そしてその道はローマへと通じる道なのだ(国道2号線)。

 しばらく人家の壁が続いたが、30分ほどでとぎれるとそこに突然、トスカーナのなだらかな丘が、丘が、丘が・・・はるか見渡すかぎり続いている。
 ついに来た!ついに走っているぞ憧れのトスカーナの平原を! 
空は抜けるような青さ、過ぎ去る夏を惜しむがごとき強い陽の光、頬に感じる乾いた風の爽やかさ。天地がひとつの巨大空間となり、その中をたったひとりで疾駆しているような感覚にとらわれる。

 丘陵をぬって走る道は、昔からの道であろうか、舗装道路ではあるがワインディングとアップダウンの連続だ。車は少ないが、バックミラーに見えた時はなるべくやり過ごす。こちらの連中はスキあれば追い越しをかける、曲がるときにウィンカーをだすのは半分くらい、ともかくさわらぬ神にたたりなしだ。スクーターは初めての経験だが、まことに楽ちん、鼻歌まじりで飛ばした(ただし80キロがやっと)。

 




 やがて国道
2号線を左折し地方道146号線に入る。左折点の道路標識がよくわからず大分通り過ぎてから引き返した。日本同様、道路標識はいまいち不親切である。やがて遠く丘の上にピエンツアの町が見えてきた。シエナから60キロ位か。本日の目的地モンテプルチャーノのひとつ手前の町だ。町はやはり城壁にかこまれており、町の手前はかなりの勾配がある、昔はそれぞれの町が運命共同体として高所に構築し城壁によって敵に備えていたのであろう。町に入ると狭い路地に出店が立ち並び日用品や衣料などを売っており、人も多い。私は町角のバールでサンドイッチを買い昼飯をすませた(バールは飲食店と喫茶店をあわせたようなもので、多くのイタリア人は朝夕たち寄り軽い食事をとり酒を飲む、生活に必須の場所)。

 帰路を考えるとあまり長居もできない。再び町を下り、草原のなかを目的地に向かう。15キロ程で再び丘の上の町モンテプルチャーノに到着、城壁の入口にスクーターをとめ石畳みの坂道をたどる。
 丘の町はどこも似た造りだ。町の中心の一番高いところに教会や礼拝堂(ドウオモ)がある。途中でエノテカ(ワイン店)をのぞく。
 さすがワインの名産地だけあって、店の中もすごい。試飲をさせてくれるのを横目で見てぐっと我慢、代わりに次の店で白く粉をふいたサラミを買った。肉の加工品は独立した町々がみずから食料を確保する必要に迫られて発展したのではないだろうか。その技術と味は一級だ。

 そろそろ帰らなければならない。道に迷うことも考え早めに町をあとにした。やはり町をすんなり出るのがむずかしい。来た時とは風景が異なっているように感じられ、ひょとして違うルートをとったのではないか、違う方向へ向かっているのではないかという疑惑と闘いつつ丘を走る。ようやくピエンツアの町が見えた時はホッとした。国道2号線に出てからは順調に帰路に乗った。

 遠くシエナの町が見えた時は4時過ぎであった。夏時間のためまだまだ陽は高い。意外と早く戻れたので脇道にそれスケッチをした。春先より水彩画の独習を始めている。たかが素人の趣味、うまい下手はどうでもよい。筆を運んでいるときの無心・無我の時間が好きである。気がついたら6時近くになっている。そそくさと荷物をまとめ、市内へ向かった。

 


 





 終幕は若干後味が悪かった。バイク屋では朝とは違う女の子が返車処理をし、車体を調べて、傷があるという。こちらは擦ったこともなし、こけたこともなし、借りる前の傷であることを伝えたが、埒(らち)があかない。もとより相手を説得できるだけの言葉もしゃべれないので、ともかくこちらの言い分を繰り返し押し問答である。結局その子は自分で判断できないので、上司がいる日に再度きてくれということで店を出た(当然その日はすっぽかしたのであるが)。他の客の返車も調べ回していたので、貸しバイク屋としてはさもありなんとは思うが、いい経験であった。

 機会があればまた行きたい。未知なる世界・・・・それはいつも私の心を魅了する

リポーター:町田の福田

ピエンツァ市街の歴史地区
 時のローマ法王ピウス2世が1459年に生まれ故郷を「理想の街」とするべく、街の改造を建築家ベルナルド・ロッセリーノに命じた。 ピオ2世の名が残る華麗な広場は、ルネッサンス的外観の教会や宮殿で囲まれ、建物内部は南ドイツ風ゴシック様式をとりいれた。 ルネッサンス期の人間的な都市設計思想や透視図法を最初に採用した街造りがこの実現された例として貴重である。 街は丘の上にあり、周囲のヴァル・ドルチャの眺めもすばらしい。
←前のツーレポ次のツーレポ→
ツーリングレポート一覧へ戻る