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我らJSC埼玉第一支部のメンンバーはいつの頃からか全員がBMWオーナーとなって久しく、その多くは当クラブ(BMW・MOTORCYCLE・OWNERS・CLUB)の会員も兼ねるので、両クラブ共通の会報といたしました。
5月4日、所沢の集合場所にはすでに埼玉第一支部の山田さん、田中幸ちゃん、杉山・中里ペア、斎藤・柴田ペア、菅原さんは清水さんの100RS・SCのドライバー。パッセンの清水さんとは久しぶりの再会となりました。
オーナーズからは事務局の鈴木さん、群馬の田中さんはインチダウンされた運転し易そうな黒の100RS・SCで参加。そして「SCのセッテングのズレが生じて運転しづらいよ−」と高橋会長も揃い9台が出発。
■一路山中湖畔へ
いつものように高遠道の混雑を避け一般道で現地入りを目指すことに。ルートはR16を横断し、青梅、日の出、檜原から中央自動車道・上野原を横切り、神奈川・山梨県境方面へ。
秋山村の狭い林道は1車線であちらこちらに落石の爪痕が残る急坂。万―対向車が登って来たらリバースが無いサイドカーは万事休すは必至。迷いながらもやっと国道413号に出て最初の合流ポインド道の駅「どうし」へ。
国道413号はかつて道志街道と言われた狭い国道。現在は道路整備が進み大変走り易い道へ変身。あちらこちらにキャンプ場が出来ている。首都圏のオートキャンパーのニーズがひなぴた街道筋の農家経営者を一変させたことは容易に推察できる。
道の駅で大槻さんは「SCは6月にならないと戻って来ないので残念だけど、今日はF650で参加です」と残念そう。
かたや高橋会長「コーナリングが大変、セッテング修正開始」とインチ工具を取り出す。
これを見た同行のワトソニアンオーナー達。寄ってたかってトーイン、キャンパー調整を皆でわいわいガヤガヤ。
やれ弓のボルト位置を調整しようとかテールが上がり過ぎたとか言いながらあっと言う間に調整完了。これを手伝う唯一左カーの斎藤さん「いつかは皆と同じ右カーに乗り換えたいからフレームだけでも分けて欲しいよ−」と呟くものの高橋会長の耳に届いたかは不明?
道の駅を出発すると間もなく、進行方向の山々から例年より多めの雪を抱いた富士山が見え始める。山伏峠からは下り坂。山中湖が大きく見えてくると山中湖畔の旭丘周辺は渋滞激しく、空冷エンジンに電動ファンが欲しいと思うのはフラットツインSC共通の悩み。
山中湖畔は軽井沢や清里の様な店が立ち並び幻滅。
40年近く前、C B 750での富士5湖一周ツーの時と隔世の感んと感じるのはオールドライダーになった証拠か?と思いを巡らしながらホテル「清渓(せいけい)」【地図】に到着。
駐車場は林の中。良い駐車位置はすでに無く傾斜地に停めるはめに。そこへ風見さんから冷たい缶ビールの差し入れ、お蔭様で喉を潤すことが叶いました。
駐車場では吉野さんご夫妻、小田原の田中さん、志村さん、堀内さんなども加わりサイドカー談義に花が咲きました。
湖畔沿いの木立に囲まれた静かな環境に立地するホテル清渓はスポーツ団体の合宿で良く使用されるような建物で体育館も併設されております。部屋に入り、宴会が始まる前に早々と布団を敷き寝場所を確保します。なぜなら翌日寝不足に陥る者が多いためで、もちろん震源地となる人の寝場所は一番奥の床の間部分。
宴会場ではあちらこちらでピッチ上がる姿を「俺は責任持てないよ」とは菅原さん。ぼやきが出るほど皆さん飲んだにも拘わらず2次回の抽選会会場へ。
大槻さん始め皆さん早々に当たりの声が掛かり、息子もダヤンのカレンダーをGET!更に作者の池田さんにサインをいただきご機嫌。かたや10本あったサイドカータイヤを目論んでいた私は数番違いで当たりを逸し、興味ないハリーポッターグッズが当たったため隣の人に譲り部屋に戻ることに。トホホ…
明けて翌日。狭い床の間に首を曲げて寝た幸ちゃん。「首がいたいよ−。寝付かれなかったよ−」の声に、「イビキの影響はいつもの大音量ではなかった。「今晩もその場所」とは一同一致。
今年のフェステバルメインイベントは富士スピードウェイを借り切った体験サーキット走行。中島さん、千葉の鈴木さん、奥本さんなどサーキット見学のため日帰り参加。
ところで、SCレースと言えば今年のマン島TTレースは100周年を迎えSCで日本人(渡辺・吉田組)が出場するのは熊野さんが出場して以来31年ぶり。この原稿を書いているときクラスBを完走したというニュースが入り、今回のJSC本部はタイムリーな企画と感じ入った次第。
■湯之奥金山で砂金採り
さて、私を含め杉山・鈴木・山田のメンバーは別のプランの温泉ツーヘ。R139号線、通称富士パノラマラインで本栖湖へ向かいます。左手には昨日より一層大きく見える富士山が樹海の間から見え隠れ。上九一色村・本栖信号を右折し、本栖湖畔沿いを進むと新1、000円札裏側の逆さ富士が見えるビューポイント。
戦国の武将“武田信玄”が金を重視したその意味は、領国経営の中で、財力や人望が戦の強さに大きく関わることを知っていたから、その蓄積と鉱山開発技術力は相当なもので、ここ下部の中山金山以外にも青梅街道柳沢峠東にある鶏冠山(黒川山)などから採掘場跡は見つかっています。
初めは砂金が主役でしたがその後は、露天掘り、さらに地中深く坑道を掘って採った金鉱石を焼いて砕き精錬する方法に変革されました。武田の兵法書である甲陽軍艦では信玄が家来への恩賞として「碁石金を信玄公自身両手にすくいなされ下さる」と記述があったように陣中で多くの家来集の面前で戦功者を直に呼び寄せ報酬として与えた記述が出てきます。
さて、私達も湯之奥金山で砂金取り開始。水槽に入った川砂を片方の縁に幾筋かのモールがある皿に水中の砂を入れ、水中で左右に回し金を沈殿させながら上の砂は落としこれを何度か繰り返しながらほとんど砂が無くなった時、そこにはキラリ金色に輝く粒が数個見つけること出来たらラッキー。
採取した砂金は持ち帰ることが出来るとあって制限時間30分はあっと言う間に過ぎ、家族連れの子供たちは何度挑戦しても一粒も採れず泣き声が聞こえたりしたものの参加者の多くはそれなりの成果があった模様。
また、掲示板には100粒以上採れた方もいたようです。
中腰で砂金探りを続け腰も痛くなったこともあり下部温泉で入浴することに。下部は信玄が合戦で受けた傷を兵と共に癒したと言われる温泉で、我々も手足を伸ばし癒やすことが叶いました。
帰りは来た道の途中、西湖から景色の良い湖の北岸を回り富士吉田から山中湖までの渋滞にはまりながらもやっとホテルに到着すると駐車場の良い場所が無い。明日は明け方から雨予想なので出易い場所が理想だが致し方ない。
宴会場ではあちらこちらで自身が二ーラドライバーになった気分の感想が聞かれた。その後の抽選会終了後は部屋に引き上げ、前日風見さんへのお礼を兼ね3次会突入するも私は途中リタイヤ。
翌朝、雨降りの音で目を覚ますと、隣室の皆さんは夜明け前の雨が降る前に帰宅されたとのこと。早めの朝食を済まし東富士五湖有料道路から中央自動車道・ハ王子インターで降り、ホテルから2時間少しで自宅に到着。
山中湖は身近なスポットと感じました。

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