JSC第33回全国ミーティング 伊勢志摩 |
2001年5月4日〜6日 金子 |
●はぐれ・はぐれのツーリング![]() 集合場所ではR75/5+ワトソニアンGPスポーツのドライバー杉山・パッセンジャーでナビゲーターの中里組、RlOOS+ワトソニアンモナコ左カーに乗った斉藤親子(小学一年生と二年生、かわいいネ〜.こうした微笑ましいツーリングはサイドカーならではではある)、R80+ワトソニアンGPスポーツの山田さん親子(ナイスミドルと青年の組み合わせもGood)、そしてご子息のお友達がs u Zのソロ、R100RS+ワトソニアンモナコ改の円中氏、往路のコースガイドをかっていただくH・Dスポーツスターでの矢野氏それぞれの面々がすでに集合していた。少し遅れてR65+パイワーゲンの柴田夫妻(サイドカーはカップルの組み合わせが一番絵になりますネ)が来られて全員準備完了。 ![]() ar6台、Soio2台、合計8台でいざ出発!出発して間もなく柴田さんのSCのガスチャージとエアーチェックを所沢市内のGSで済ませ再度出発。先頭集団こ追いつくべく追走。本日の具体的なルートを後方のメンバーは誰ひとりとして把握していなくそのまま第一回目の“はぐれ’’が発生してしまった。私は昨晩2時までかけて修理したマイク&スピーカーもリグ(無線機)は混信が多く受け悪し。(後で考えるとモールスの周波数帯で影響されたものと考えられる)柴田さんも無線機で先頭車をコールするもバッテリー切れで相手に届かず、斉藤タケちゃんの無線機も聞くことは出来ても電波を飛ばせず結局携帯電話に頼るハメに。メンバーのうち4名がアマ無線資格者であり、さらにほんんどのドライバーが無線機を装着していてもこのありさま。結局、携帯電話を使って合流することに… ![]() 閑話休題。矢野氏とは、かつてR75/5GPスポーツSCを所有されていたころ、群馬方面からの帰り道、夜の渋滞の中をご一緒して以来であったため大変懐かしかった思い出が蘇った。現在は乗ってきたH・Dロードスターも手元にきてから早17、8年過ぎているとのこと。タンクカラーもグリーン鮮やかにきれいに磨き込まれている。 ![]() 戻ってソバ屋へ。ここのソパは“10割そばが売りである.私も早速そのお勧め品を頂いた。腹ごなしも柊わり、いよいよ会場に向かう。秦野市街を通過。この町の中央を丹沢を源流とし川の堤防の中が広く、散策道が整備され潤いのある町並みが続く。小田急線の駅前にしては山も近く水辺空間もある町は住んでみたいと思うような印象を受けた。秦野市の市街地を抜けその先でR246に合流する。そして松田町から大井町と来ればもう目的地はもう目の前だ。東名高速で行くと「大井松田lC」手前左に「第一生命ビル」が見えるが、本日の会場lまその手前の丘に位置する。高速に沿った道を登って行くと「いこいの村あしがら」の看板があり、本部役員が入り口で誘導していた。 ![]() 会場内に到着。駐車場にはゴールドウィングを始めとする国内各社とのセッティングされたSC、あるいはEMLSC、H・DのSC (ピューエルとのSCならおもしろいだろうが)並んでいる.もちろんBMWのSCも多く見受けられる。私の感じた印象としてドマーニ以後の斬新なSCは無く残念であった。 隣接して行われたSCショーとフリーマーケット会場へ。 ショーではスリーホイラーや、カー側横2人乗りの大きなカーが目立ったが、先月東京ピックサイトで行われたモーターサイクルショー以上の中身は無く、私は部屋に割り当てられた207号室へ早々に退散。しばらくして皆も見学も終わった模様で部屋へ。暑かったこともあり革ジャンを脱いで、まずはビ一ルで乾杯。うま〜い!!今回はクーラーBOXを持参し、その中に昨日、塩茹でしておいた「枝豆」と氷詰めしたカンビールを重い思いをして運んできた甲斐があったというものである。一息ついた後、旦呂に入る。私を含めて3人。広い浴槽で気分は最高(今風に言わしていただければチョ〜サイコー!)である.風呂から出て広場に戻ると、矢野氏はここで帰宅されるとのこと。本日の水先案内を感謝しつつ見送る、Vツインエンジン独特の小気味よい排気昔を残し走り去って行きました。 夕方になって全国ミーティングが大会議室で行われ各報告と意見交換がされる。報告の中で、ヨーロッパ(EU)ではモーターサイクルもシートベルトの着用やバイク用のエアーパックが有効ではないかとまじめに議論がされているそうで、日本もジュネーブ条約を批准している関係があるため、将来ヨーロッパの影響が必ず出てくる懸念があるといった報告がされた。また、写真にあるようにオランダからYA−XJ900SCで世界一周の途中会場に来られたロブ夫妻がボランティア活動しながら20万Kmツーリングの様子などの紹介が行われました。 ![]() 部屋へ戻ったところメンバーも戻りニ次回モードに突入。これも持参した“冷や奴’の出番である。あっさりした「つまみ」は皆に好評ですぐに皆さんのお腹の中に。ビールは残っていたものの日本酒無いためl幸ちゃんが宴会場から調達。お盆にいっぱい乗せて持ってきた。一体誰が♯がこんなに飲むのだろう?途中、明日が早い山内さんは途中でリタイア。幸ちゃんのいぴきを伴うパク睡前に休まれる考えはごもっともである。その後、柴田、杉山両氏も隣の部屋へ撤収。残った私はどうなるの?幸ちゃんのいけにえになってしまいました。アー合掌!その後しばらくご相手させていただき、その後テーブルを片付けて寝場所を確保。幸ちゃんはおにぎりが食べたいと「おひつ」のご飯を握り始めたので私としてlはやっと寝ることが出来ると一安心。しかし、あまりに静かさが続いたことから、いつになったら寝るのかなと思いつつ朝を迎え幸ちゃんに聞いてみると、あの後マッサージ器に身をゆだねてそのまま朝になったとのことでした.一同快眠できたことに納得。 翌日、朝食はバイキングである、私は和食を選ぷ。通路の向こうに隔ててロブ夫妻も食事をとっている。和食を選んだかは定かでない。帰りの準備をして駐車場に行くと昨日より幾分多くのサイドカーが並んでいる。本部の話では4日〜5日の方が参加者は多いとのことであった。.参加者の多くは午前中予定のイベント「マスツーリング」に行かれるようだが我々はマスツーリング参加者を駐車場に残し帰宅に向け出発。帰りのメンバーは山田さんが都内を通過する必要性から先に出発され、新たに狭山の堀内さんがR60S(リバース付き)+スタイブで加わった。 ![]() 斉藤タケちゃんは2人の子供を乗せる準備をしていたのを確認して私は坂を下って行った。丁時路まで進むと今度はタケちゃんが追いついて来ない。第3のはぐれとなった。タケちゃんの無線機からは親子の会話聞こえる「おとうさん、皆はどっちへいったの?」と聞こえた感じがする。親子で交信し合っているときは他からの通信は本人へ届かない。仲間の一人が迎えに行ってやっと全員合流。 東名の下をくぐってR246から厚木のR129分岐で柴田さんは東京方面へ別れた。我々は北上し橋本へ。この時同帯、橋本は渋滞にならないで通過出来るたのは奇跡的である。R16から∧王子市内へ抜け横田ベース脇〜入間市に入って昼食。ここで柴田さんへ電話を入れると既lこ到着とのこと都内の交通事情も混んで無かった模様である。このツーリングも昼食後、ここで解散となり、自宅へは2時に掃宅。いつもより相当早い帰宅となりました。 今回のツーリングはタイトなコーナーも無く、距離も日帰り並の200Km程度のショートツーリングとなりましたが、楽なツーリングもたまにはいいものだなと感じた2日間でありました。 |
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